第12回不動産協会賞受賞 「平成都市計画史」 饗庭 伸 著
第8回日本平和学会平和賞・平和研究奨励賞受賞 「不安の時代の抵抗論」 田村あずみ 著
2021年度岡倉天心賞受賞 「米中新冷戦の落とし穴」 岡田 充 著
2020年都市住宅学会著作賞受賞 「横浜防火帯建築を読み解く」 藤岡泰寛 編著
第23回文化庁メディア芸術祭(文部科学大臣賞)マンガ部門優秀賞受賞 「未来のアラブ人」 リアド・サトゥフ 作、鵜野孝紀 訳
第22回文化庁メディア芸術祭(文部科学大臣賞)マンガ部門新人賞受賞 「見えない違い」 ジュリー・ダシェ 原作、マドモワゼル・カロリーヌ 作画、原 正人 訳
「グローバル警察国家」ウィリアム・I・ロビンソン 著 松下 冽 監訳/現代の理論デジタル29号(2022年2月6日)
http://gendainoriron.jp/vol.29/review/kawamura.php
「新出雲国風土記」信太謙三 著/グローバルニュースアジア他(2022年2月4日)
https://globalnewsasia.com/article.php?id=7818&&country=1&&p=1#photo
「カントと自己実現」渋谷治美 著/週刊読書人(2022年1月14日号)
https://dokushojin.com/review.html?id=8622
「KUSAMA」エリーザ・マッチェラーリ 作 栗原俊秀 訳/「artsandphil」(2021年12月17日)
https://artsandphil.jp/art/watanabe-y/who-is-kusama-yayoi/
「デジタル馬鹿」ミシェル・デミュルジェ 著 鳥取絹子 訳/「図書新聞」(2021年10月22日)
デジタル言説における肯定的な「神話」を解体
コロナ禍でオンライン会議などテレワークが広がり私たちのスクリーンと共に過ごす時間は目に見えて多くなった。それに伴って手書きやFAX、ハンコなどデジタル化の遅れが指摘されている。またDXやAI活用が目指されデータサイエンス、コンピュータ科学などの領域でデジタル人材不足でその育成が急務と言われている。2021年9月にデジタル庁が発足したことも記憶に新しい。
教育の領域においても日本でもプログラミング教育などSTEM教育が注目されたり、2019年から情報端末を小中学校で1人1台PCや高速ネットワーク整備を目指したGIGAスクールが進められたりなど教育の情報化が進められている。
このように日本はデジタル化が遅れており、各療育においてデジタル化の推進は「待ったなし」のように思える。
しかし一方で、とくに若者たちを中心に、スマートフォン、ソーシャルメディア、オンラインゲームなどスクリーンと接する時間は依存とも言える状態で、ネットいじめや出会い系、睡眠障害などの問題もしばしば指摘される。
もちろんこうしたメディア害悪論は今に始まったことではない。遡ればテレビ亡国論やマンガ・アニメ批判、また『ケータイを持ったサル』(中公新書、2003)、『ゲーム脳の恐怖』(日本放送出版協会生活人新書、2002)などこれまでも見られてきた。本書はこれら若者たちへのメディア害悪論研究の最新作である。類書としてA・ハンセンによる『スマホ脳』(新潮新書、2020)なども挙げられるだろう。
本書の特徴は単に危険を煽ったり若者を批判したりしないところにある。デジタルや若者世代そのものではなく、メディア、デジタル推進のために取り上げられるデータについてロジックや統計的な誤りを明らかにしながら議論を展開している。それは巻末に挙げられている参考図書・論文にも現れている。その数は第3部教育323、発達375、健康591点をはじめ、全体では1730にも及んでいる。これら膨大な批判対象と根拠を挙げながら、論文調ではなく一般的にも読みやすい文体で若者をめぐるデジタル言説において過剰とも言える肯定的な「神話」を解体していく。
本書は3部構成となっており、第1部ではデジタルネイティブのコンセプトを、第2部では若者たちのデジタルメディアの利用について、第3部では教育、発達、健康の側面から検討している。例えば世代論として分かりやすいデジタルネイティブについてはデータを取り上げながら、メディア接触時間は多い層から少ない層までばらついていることを指摘し、若者がみなメディアに釘付けではなく、デジタルネイティブと言われる世代が存在するデータは示されていないと指摘する。
本書が示す主張はおおよそ以下の通りである。若者のデジタル利用に関する情報の信憑性がないということ、そして若者たちのデジタル利用時間は非常に大きく睡眠や家族の交流、スポーツや芸術活動の時間と引き換えになっていること、それどころか依存症など健康被害も出ていること、ひいては私たちの脳の構築がうまくいっていない可能性があることである。
本書は主に欧米の状況に基づいている。日本のメディア・デジタル状況はどうか。通信利用動向調査によると2020年の世帯における情報通信機器の保有率はモバイル端末(携帯電話、PHS、スマートフォン)が96・8%でPCは70・1%であった。少し細かく見るとスマートフォンは世帯年収200万以下で約60%、200~400万で約80%、それ以上は90%を超している。PCは世帯年収200万円以下で約40%、200~400万で約60%、それ以上では約90%を超している。このように見るとデジタル機器は経済格差と関係しており、デジタルから「こぼれ落ちない」ようにむしろデジタル接触への支援が必要というようにも見える。
若者たちのデジタル接触と教育についての議論の根底にあるのは、学校や家庭においてデジタルネイティブたちにメディアを教えるべきなのか?そして、それは(場合によっては自分よりも日常的に接している彼ら彼女たちに)教えることができるのか?という問いである。
そして、その結論は大雑把に言えば、(1)接触をさけることはできないため過剰にならないように(特に幼少時代では)使用時間・コンテンツを制限するべきである、(2)自分で利用や取捨選択ができるように自制心とメディア・リテラシーを身につけること、に集約されるだろう。
ただし日本という文脈ではアニメやマンガ、ゲームなどサブカルチャー大国、ハイテク技術が日本の「強み」であり、海外からの「イメージ」でもある。これらは若者のデジタル接触と教育というテーマに対してひと筋縄ではいかない一種の「呪縛」ともなっている。本書は日本の若者にとってデジタル接触は個人のひいては日本の魅力を促進するアクセルなのか、格差や問題を生み出すブレーキなのかを考える良き出発点ともなるだろう。
(松下慶太・関西大学社会学部教授)
「人間回復」志村康 著 北岡秀郎 編集・構成/「佐賀新聞」(2021年12月4日)
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/778096
「人間回復」志村康 著 北岡秀郎 編集・構成/「週刊読書人」(2021年10月22日)
「現在進行形」である「人間回復」の闘争──国策による差別を断罪・批判
戦前日本のハンセン病にかかわる国策〔含・無らい県運動などの社会運動〕は当時、特効薬がなく、不治の感染症と考えられていたハンセン病を日本社会から根絶するために、ハンセン病患者を国立療養所へ強制隔離することで、そのことを実現しようとした。強制隔離の過程において、民衆的な迷信と医学的知見が結びつき、「私たち」の恐怖・不安は過度に煽られて、患者への偏見が醸成し、差別は拡大した。国策は地域社会での患者やその家族の生活を奪っていった。偏見と差別が患者から社会における生活の術を奪ったことと、国立療養所への強制隔離は不可分の関係だった。
この国策の在り様は、特効薬が普及し治癒する病いになった戦後においても長らく続けられた。「らい予防法」(一九五三年)の下、強制隔離による偏見と差別は温存された一方、患者を地域において目にすることのなくなった「私たち」は、ハンセン病とその患者のことを忘れ去ろうとしていた。強制隔離によって患者が受けた差別や被害もなかったことになりそうな懸念があった。入所者の少ない人たちは、地域で生活する家族に迷惑をかけたくない想いで、療養所の外部≒社会に向けて、自分自身や家族が受けた差別被害を語ることを躊躇したからだ。
ハンセン病患者が受けてきた差別被害が公にされたのは、「らい予防法」による強制隔離を憲法違反だと認定したハンセン病違憲国家賠償請求訴訟である。裁判の過程で元患者への過酷な人権侵害の実態が次々と明らかにされ、ハンセン病問題は「過去」のものではなく「現在進行形」の社会問題であることを「私たち」に突き付けた。
本書は、国賠訴訟の第一次原告団副団長を務めた志村康氏の語りや入所者自治会誌に執筆した論稿などを編集・構成した証言集である。
第一章「私の弔い合戦」は、国賠訴訟のための証言として、関係者が志村氏から聞き取りしたものを中心に構成されている。ハンセン病の発病、国立療養所菊池恵楓園(熊本市)への入所、入所者に対する差別的な処遇、軽快退所・社会復帰、再発・再入所、国賠訴訟の原告になった経緯などが記録されている。志村氏の語りの特徴は自分自身の差別被害だけでなく、そのことを語ることなく亡くなった入所者の無念を代弁し、国策による差別を断罪する語りだ。
第二章「殯邑(もがりむら)」は恵楓園『菊池野』誌に掲載された、戦後の強制隔離維持に影響を及ぼした国会での「三園長証言」の分析と解説である。これが掲載された時期(一九九三〜九四年)は、「らい予防法」廃止(一九九六年)に向けた議論が本格化した時期であり、国策に強く関与した関係者を批判する内容となっている。
第三章「人生後半の鋒鋩」は、志村氏がかかわるハンセン病の差別被害に関する様々な裁判(民事・刑事裁判)についての見解やふり返りなどで構成されている。国賠訴訟だけでなく、日本の旧植民地(韓国・台湾)の療養所関連の訴訟、家族訴訟、「特別法廷」と「監禁室」、菊池事件など多岐にわたる裁判において、志村氏は関与している。
補章は、「病床日記」、「第十八回検証会議─陳述書」、「父のこと」で構成されている。志村氏の生い立ちや訴訟には収斂しない心情が綴られている。
国策が引き起こした「ハンセン病問題」と闘い続ける志村氏の証言を集めた本書を読んで、考えたことがあった。それは国策を疑わず、不安や恐怖を解消するために、強制隔離による患者摘発に積極的に関与した「私たち」のことである。「私たち」は「ハンセン病問題」について当事者意識も持たず、「終わった問題」、「自分とはかかわりのない問題」としていないか。志村氏は、現在進行中の裁判を通して、「ハンセン病問題」を「終わらせない」ようにしているようにも思える。「ハンセン病問題」の解消は、ハンセン病やその患者がこの地上から存在しなくなることではないはずだ。それはかつて強制隔離を用いた非人間的な国策と同じ思考法だ。「私たち」の無批判と無関心こそが、強制隔離の見直しを遅らせた原因のひとつであった。「私たち」が「ハンセン病問題」についての当事者意識を持つことが、ハンセン病を生きていた患者や家族だけでなく、「私たち」の「人間回復」にもつながる。だから、まだ「ハンセン病問題」を「終わらせない」・「人間回復」のための闘争は、まだ始まったばかり、「現在進行形」であることを再認識した。
(宇内一文 常葉大学健康プロデュース学部准教授・教育学)
「デジタル馬鹿」ミシェル・デミュルジェ 作 鳥取絹子 訳/週刊読書人(2021年10月15日第3411号)
https://dokushojin.com/review.html?id=8485
「 人間回復」志村康 著 北岡秀郎 編集・構成/「西日本新聞」(2021年9月7日)
<前略>
自伝は、過去のインタビュー記事や、自治会機関紙の原稿を再構成。ハンセン病差別を巡る昨今の状況や、自らの両親の生い立ちなどを加筆した。入所後、面会に来た父親から「お前の運動は理解できるが、本名が新聞に載るようなことはしてはならない」と言われ「志村康」と名乗ったことも書き記した。
<中略>
「未解決の課題も含めて志村さんの人生をまとめてほしい」─。ハンセン病国賠訴訟などに携わった故坂井優弁護士(20年2月死去)が生前周囲に話していたと知り、考えが変わった。志村さんは「坂井先生の思いを知り、生きた証しを残そうと思った。高齢で長文を書くのが難しくなってきただけに、完成できてよかった」と語った。
<後略>
「 人間回復」志村康 著 北岡秀郎 編集・構成/「熊本日日新聞」(2021年8月26日)
<前略>
志村さんは「政策に意見しない若者にこそ読んでほしい」と呼び掛けている。
三つの章と補章で構成。らい予防法(1996年廃止)に基づく強制隔離で人権を侵害されたとして、国相手の裁判を起こした98年当時の経緯や心情を振り返った聞き書きや、自治会機関紙「菊池野」へ93〜94年に投稿した文章などを収録している。
<中略>
今回初めて、家族の歴史についても触れた。志村さんは「自分たちで権利を取り戻してきたからこそ、批判のない現代に危機感を覚える。コロナ政策には指摘すべき点が多々ある。自分の意見を持つ大事さを伝えたい」と話している。
「 21世紀の恋愛」リーヴ・ストロームクヴィスト 著 よこのなな 訳/「週刊文春」(2021年8月26日号 「私の読書日記」欄より)
<前略>
本書は、ひとことで言えば、二一世紀の現代において「恋におちる」ことはいかに困難であるかを語る本である。
<中略>
そもそも恋に落ちるとは、相手を「特別な他者」と(場合によっては不可抗力的に)認めることであるにもかかわらず。現代人は、「かわりはすぐに見つかる」ような状況において「特別な他者」を見つけるという無理ゲーを強いられているのだ。
<後略>
「 「八月ジャーナリズム」と戦後日本」米倉律著/共同通信配信記事(2021年8月)
毎年8月になると、テレビでは集中的に戦争・終戦関連番組が放送される。われわれ視聴者は、これらの番組をごく当たり前の存在として、「夏の風物詩」や「年中行事」のように受け止めてしまいかねない。「八月ジャーナリズム」という言葉には、こうした放送へのやゆ的な含みもある。
それでも一連の番組には戦後日本の戦争観や歴史認識を反映し、逆にその形成にも寄与してきたという相互関係がる。本書はその歴史的展開を丹念にたどった労作だ。
<中略>
「八月ジャーナリズム」はかくあるべき、と声高に主張する本ではない。ただ、インターネット時代を迎えても、戦争の記憶を次世代に継承するテレビの役割は終わらないはずで、自閉的ではなく国内外に開かれた対話的なジャーナリズムへの転換が不可避とする著者の強い信念こそが本書を貫く骨格と言えよう。
(評者:飯田豊・立命館大准教授)
「 「八月ジャーナリズム」と戦後日本」米倉律著/神奈川新聞(2021年8月15日)
題名に後ろめたさが付きまとう。終戦記念日を前に考える機会が増えることを肯定的に捉える向きもあるが、やはり形骸化した戦争報道を批判する意味合いが強いだろう。
<中略>
著者は、証言や手記などの一次資料に基づく取材がそうした批判に対抗し得ると言う。とはいえ、緻密な調査報道はごく少数に限られる。戦後70年の8月に放送された「NHKスペシャル」に、日本の加害に関わるテーマが一本もなかったという本書の指摘に暗然となった。
「 「八月ジャーナリズム」と戦後日本」米倉律著/北海道新聞(2021年8月15日)
<前略>
近年、八月の戦争・終戦関連番組自体が減少している。特に民放で顕著だ。しかも「加害の語り」が後退し、以前のような「受難の語り」が優勢だと著者は指摘する。「八月ジャーナリズム」は時代を反映し、それによって社会に影響を与える、一種の合わせ鏡だ。その機能低下が意味するものとは何なのか。本書が明らかにした歴史的経緯を踏まえて考えていただきたい。(評者:碓井広義・メディア文化評論家)
「 夕日と少年兵」土屋龍司著/日中文化交流(No.905 2021.8.1)
日本敗戦から中華人民共和国成立初期の満州には、「留用日本人」と呼ばれ、新中国の建設に身を捧げた残留邦人がいた。中国人民解放軍兵士として国共内戦、朝鮮戦争に参加した砂原恵氏(6月24日逝去)もその一人。本書は1933年に福岡で生まれ、5歳で東北の炭鉱町・阜新へ渡った氏の波乱の半生を描いた小説。敗戦後、阜新の関東軍は、現地邦人1万4 千人を残して撤退。八路軍(のちの人民解放軍)の「人民のために奉仕する」精神に触れ、中国人兵士として中国の革命に参加することを決意したのだった。行間には、日本軍国主義への強い怒りと中国人が寄る辺のない敵人を同志として優遇してくれたことへの感謝の念がにじむ。中国共産党は日本軍国主義者と一般の日本人を区別して残留邦人と接し、彼らと新中国の建設に汗を流した。日本による侵略戦争から生まれたこの歴史を知るための一冊としたい。
「 平成都市計画史」饗庭伸著/図書新聞(2021年7月31日 第3506号)
昭和からの流れも踏まえた日本の都市計画の歴史
平成都市計画史の多種多様なメニューが見事に料理されていく
柴田 久
新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの暮らしを一変させ、多くの人々が生活する「都市」のあり方を考えさせる契機となった。同時に換気の徹底や長距離移動の制限等によって、身近な屋外空間の価値が見直され、道路法等の改正によって、歩道での商業活動がしやすくなる「歩行者利便増進道路(通称ほこみち)制度」などが創設された。災害が頻発化し、安全なまちづくりを推進するための防災指針の作成も、都市再生特別借置法等の改正によって位置づけられた。これまでにも人々の価値意識の変容や社会的な状況変化に対応することを目的とし、都市に関わる様々法改正が繰り返されてきた。しかし、そうした法改正が功を奏すのかは、ある程度時間が経過した後の歴史的判断に委ねなければならない。ポスト・コロナや令和時代に求められる都市のあり方を考えるうえで、これまでの都市計画の変化を史的に学ぶ意義については改めて言うまでもないだろう。今回紹介する『平成都市計画史』は、我が国がこれまで歩んできた都市計画の歴史を膨大な文献・資料のデータに基づきながら、分かりやすく丁寧にまとめられた労作である。
本書は序章と終章を除き10章で構成されており、第1章では著者の史観が、第2章では平成史を語るうえで欠かせないバブル経済期について述べられる。3章から6章までは都市計画に関わる政府・市場・住民(コミュニティ)三者の関係性とそれぞれの変化が描かれ、7章からは住宅、景観、災害、土地利用の4分野について、それに取り組む都市計画の変化が図や写真を用いながら簡潔にまとめられている。序章では、著者自身の思い出話を引き合いに出しながら、30年という平成の時間的長さの共有が図られるなど、読者の理解を促すための工夫が随所に見られる。特に都市計画の変化を把捉する枠組みが明快に示され、複雑な仕組みや組織の関係性が見事に紐解かれていく。
いくつか紹介すると、本書を通底する解読格子として、都市計画を「権力」と「ビジョン」という2つの軸で考察し、権力は「法」と「制度」、ビジョンは「設計」と規制によって構成されることが提起される。またそれらが相互に関係しあう軸によって4つの区分(象限)を設定し、都市計画の様相が明示される。ここでは法を都市計画法や建築基準法などの私権を制限するもの、制度を住民や地域社会、市場が内発的につくりだす規範、ローカルルールのようなものとし、都市計画の権力はこれら2つの組み合わせで構成されていることが検証されていく。また理想の都市空間を「設計」するべきとする態度と、逆にやってはいけない「規制」する態度があることを挙げ、ビジョンがこれらの混合で実現されてきたことが明らかにされていく。さらに法と制度の間のやりとりに関する取り決めを「プロトコル」と呼び、地方分権や規制緩和の様々な状況がまるでパズルを解いていくかのように整理されていく。法と制度の関係においては、魔女がかける「呪い」に例え、平成期に創設された立地適正化計画の仕組みはダイエットに例えて解説されるなど、思わずほくそ笑みながら肯かされる頁も多い。
著者は都市が発展するプロセスを「図と地の絶え間ない往復運動のようなもの」とし、その動きを整えるのが都市計画だという。そのうえで本書では「地の歴史」を描きたいとし、都市計画が、地をつくり、図と地の絶え間ない往復運動を支え、より良い都市をつくる可能性があることを信じ、そのための都市計画の使い方を少しでも明らかにしたいと述べている。平成期は前述したビジョン(設計と規制の組み合わせ)が模索され、ビジョンを実現する権力の形(法と制度のバランス)を見つける「せめぎ合い」が繰り広げられる。本書によってその紆余曲折が手に取るように解読されていく様は痛快である。また「平成都市計画史」と題されているものの、転換期とされる平成の30年だけではなく、1968年制定の都市計画法以降、すなわち昭和からの都市計画の流れもしっかりと踏まえられており、高度経済成長期以降の日本の都市計画を通史的に理解できるところも有難い。
名店にて旬な食材を使ったコース料理を頂き、味もさることながら、シェフの料理の仕方に感動したご経験をお持ちではないだろうか。令和の都市計画を見据えるうえで踏まえておくべき平成都市計画史の多種多様なメニューが見事に料理されていく。その切れ味の良さを存分に楽しめるお薦めの一冊である。(福岡大学工学部社会デザイン工学科教授)
「 平成都市計画史」饗庭伸著/共同通信配信(2021年4月、5月、6月)
<前略>戦後日本の転換期というべき平成の30年間に、私たちの多くが暮らす都市はどのように変容したのか。本書は都市計画の視点から鮮やかに描き出す。
<中略>
安易な処方箋を与える代わりに、都市と都市計画の現在地を、歴史的経緯を踏まえて明快に提示する本書は、その課題に取り組む際の道具立てとしてふさわしい。広く読まれるべき書物だろう。(評者:市川紘司 東北大助教)
私たちが歴史を学ぶ際,の多くが教科書を手掛かりにしてきた。しかし,それら教科書の多くは,おおむね近代や現代初頭までで,現代まで踏み込まれることなく、尻切れた感覚で学びを終えた経験も,また多くに共通するに違いない。歴史とは,ある程度時間が経過した出来事や事件が,あとの人により整理された一連の記述であり,同時代的な事象については,今の私たちの生活につながりが深く,評価や解釈が定まりにくいため,教科書には載せにくい。
一方,本書はほんの数年前に閉じられた平成という30年間の都市計画を扱っている。ついこの前のこと,近い時代のこととして気軽に読み始めると,それはあっさり裏切られるだろう。
平成には国際的な社会状況や国内におけるバブル経済からの回復,多発する巨大災害,人口の増減とコミュニティにおいて生じる課題に対応すべく,紆余曲折,都市計画上のさまざまな手が打たれ,模索と奮闘の熱い時代でもあったことが本書からわかる。政策と経済的市場,人々の生活とのせめぎ合いについて,冷静に整理し,ほんの約30年ではあるが,その長くて遠い道のりを精緻に記述している。平成に育った者にとっては,都市計画の現代史として読むことができよう。また,平成を生きた人間にとっては,一種の謎解き,スリラーとして読むこともできる。
というのも,本書の読者であれば,登場する法律のほぼすべてが,一度は耳にしたものであり,日常業務において,多かれ少なかれそれらの影響を受けたに違いなく、その影響の所在あるいは背景が本書を通して辿ることができるからだ。評者自身,本書に取り上げられている都市再生特別借置法の導入初期に,都市再生特別区の企画設計に携わった経験がある。当初は10年間の時限立法であり,それに間に合わせよと煽られながら企業の一所員として,本書のいう「呪い」(=制度による法の突破を組み込んだ法の設計35頁参照)を解かんと,頭を悩まし取り組んでいた。しかし,いつの間にか済し崩し的に,この令和の現代においても,その法律は継続されており,むしろその役割を増しているようにさえ見える。都市計画法のもつ構造的限界と,当初の法的趣旨を超え成長している現状を本書から改めて確認させられた。同時に、当該法律を作成した行政官らの人となりや思いがわかる記録や,その「呪い」のヒントを読み取ることのできる赤裸々な記録にも触れることができた。各章にある参考文献・資料によって,読者の更なる興味は掻き立てられ,一層深い謎解きの探求に導かれるであろう。
本文は10章構成。序章と終章に加え,第1~3章までは著者による平成前史観が述べられている。以降は都市計画のテーマごとに各章が割り当てられ,それぞれの平成史が整理されている。文頭から読み進めていくことも,章ごとに読むこともできる。各章の扉には,その章で取り上げられる内容の年表が掲載されている。これらの年表は,章のテーマをより明確に浮き彫るだけでなく,読者の理解を手助けしてくれる。読者には,目次に目をとおし,これら年表を一通り眺め読んだ後,各章を読み込んでいくことをお勧めしたい。
(たけうち やすし)
「不安の時代の抵抗論」田村あずみ著/著者インタビュー 中日新聞(2021年4月28日)東京新聞(2021年5月23日)
https://www.chunichi.co.jp/article/244424
「交通事故は本当に減っているのか?」加藤久道著/論座(2021年4月23日、24日)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021042100002.html
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021042100005.html
「 平成都市計画史」饗庭伸著/日本経済新聞(2021年4月10日)
平成という約30年間における都市計画の変遷をまとめている。
<中略>
本書は都市計画を中心に据えたうえで、住宅政策や景観行政、災害復旧、土地利用規制まで射程を広げてこの30年間を論じている。都市をつくる仕組みを多角的にとらえるうえで役に立つ。
新冷戦でも覇権争いでもない
米国と中国の〝対立〟の見方
「米中新冷戦って、トランプは自分では使ってないんですね」。この本「米中新冷戦の落とし穴」(花伝社)を上梓した直後、ジャーナリストの高野孟氏からそう問われた。その通り。命名したのはメディアと識者である。あらゆる領域で広がる米中対立をみて、「米ソ冷戦」になぞらえたのだった。
本書は「パワーシフト」(大国間の重心移動)が進む中、トランプ米前政権の米中貿易戦とデジタル技術争いを整理し、対立の磁場になった香港、台湾、朝鮮半島で「対立と協調」がどのように展開されたかを記録し分析した内容である。
タイトルのように「新冷戦」という思考方法自体を俎上に載せた。この思考枠組みにとらわれると、無意識のうちに「米国か中国か」「民主か独裁か」という二項対立に誘われるからだ。
これを「落とし穴」と呼ぶのだが。この「思考のトリック」で金縛りに遭うメディアや識者がいかに多いことか。その一例。中国の王毅国務委員兼外相が2020年秋に来日し、茂木敏充外相を中国に招待した。あるメディアはその狙いを「米次期政権発足をにらみ、日米が協力を強化しないようくさびを打ち込む狙いがありそう」だと書いた。
ちょっと待ってほしい。リーダーの相互訪問は外交慣例で、招待は儀礼上も当然だ。日中関係を「米中新冷戦」の落とし穴から眺めると、「日米協力にくさびを打ち込む狙い」が極大化してみえてしまう。これが「思考のトリック」である。日中関係を常に「米国か中国か」の二択論から思考すれば、日中関係改善などあり得ない選択になる。
ここ1、2年、隣国を「邪悪な覇権国」とみなす言論が目立って増えた。隣国をそう見なすわれわれの「民主」というガバナンスは、誇るべき「正義」なのだろうか。米中対立の激化が日本でどのように受け止められているかも紙幅を割いた。
最終章では、日本が高まる現状肯定意識が、新冷戦思考の「落とし穴」にはまることで、中国への反感と排外意識をいっそう高揚させているという仮説を提示した。
米中対立を「米ソ冷戦」になぞらえ、「美絵中覇権争い」と見なすのは誤りである。米ソ冷戦の特徴は、経済力のみならず体制の優位を競い合うイデオロギー対立だった。中国は今世紀半ばに「世界トップレベルの総合力と国際提携力を持つ社会主義強国」になる「夢」を描いている。中国は、米国が軍事力を背景に築いてきたグローバル秩序「アメリカン・スタンダード」を批判する。しかし、中国の発展モデルを普遍性のある「チャイナ・スタンダード」として提起しているわけではない。
「人類運命共同体」という世界観を掲げるが、その国際秩序のルールは「多様化」と「内政不干渉」にある。
鈴木一人・東京大教授は隔月刊誌「外交」(Vol.65)の座談会で、「中国が覇権国家になるかどうか、私は懐疑的」「独裁国家ですら、中国製の顔認証ツールは使うにしても、中国の統治モデル全体を取り入れようとは考えていない」「米国が中国のイデオロギー的な脅威と見るのは違う」とみる。同感だ。
「米国退場」はすう勢
本書は新型コロナウイルス禍への「米日中」の対応から説き起こした。それはコロナ禍が、国際政治と一国の統治を変容させたからだ。第一に米国のグローバル・リーダーからの退場。第二は「国家の復権」である。コロナ以前からの潮流を加速させたのだ。
リーダー交代で「米国退場」を食い止めるのは難しい。バイデンは外交政策の基調に①同盟再構築②国際協調の二本旗を掲げる。脱退した世界保健機関(WHO)とパリ協定への復帰に着手し国際協調路線を前面に出した。問題は同盟再構築だ。
「パワーシフト」が起きた最大の背景は、中国を敵視し包囲する同盟戦略が、「間尺」にあわなくなったからである。日本を含むアジア諸国の対中経済・貿易は、質、量、額ともに対米を上回り、中国敵視の「同盟」は自己矛盾になる。
バイデン政権は就任1カ月から外交を本格始動した。欧州では北大西洋条約機構(NATO)国防相理事会を開き、アジアでは日米豪印4カ国(QUAD)外相協議で、同盟再構築を開始した。しかし欧州ではドイツの、アジアではインドの「戦略的自律性」という対同盟〝ヘッジ戦略〟にぶち当たり、思うように進まないだろう。
「国家の復権」とは何か。世界は1980年代以来、新自由主義の「申し子」である巨大IT企業が、金融・通貨政策から雇用・賃金政策まで経済・社会政策の実権を国家から奪った。だがコロナ禍は。国境を復活させ、疫病と雇用、貧困対策など、経済政策の実権を取り戻す作用を促した。
ここでの論点は「民主か独裁か」ではない。トランプ支持者が米連邦議事堂に乱入した事件で、ツイッターはトランプのアカウントを永久凍結した。巨大IT企業が言論領域にまで手を出すのをみて、メルケル・ドイツ首相は「立法で縛るべき」と主張した。同じ「資本主義・民主国家」だが、これほどグラデーションがある。
中国も例外ではない。習近平政権が「アリババ」に独占禁止法違反容疑をかけたのは、巨大化するIT企業による金融支配への危機感の表れだ。中国中央銀行がデジタル通貨を発行したのは、通貨発行と金融政策の主導権を国家が握り続けているという意思表明でもある。
こうしてみると、コロナ禍は国家の役割を問い直していることが分かる「民主か独裁か」の思考トリックから答えは出ない。感染拡大が収まり、各国が経済再建に本格的に乗り出す時、綱引きはさらに激しさを増す。 (一部敬称略)
『昭和天皇実録 第十四』(東京書籍) 一九六八~六九年に、当時の学生運動のことが三回でてくる。すべて佐藤栄作首相の内奏で、六八年十二月二六日「佐藤首相より学生運動を中心とした一般の政情について」、六九年一月一日「佐藤首相より東京大学の大学紛争の見通しについての説明」、最後は六九年八月七日、「佐藤首相より国会審議や大学紛争、及び沖縄返還問題など一般の政情についてお聞きになる」とある。国会では大学運営臨時借置法が問題になっていた。
『実録』一月一一日内奏に「この後、東大紛争は一八日から一九日にかけて、学生が立て籠もる安田講堂に警視庁機動隊が導入され、封鎖が解除される。これによる検挙者数は三七〇名に上る」と『侍従日誌』による補足があるためか、いわゆる安田講堂攻防戦が「天王山」だったかに見える。当時の東大闘争・大学紛争について書かれたほとんどの記録や研究は、小熊英二『1968』(新曜社) をはじめ、全共闘連動と安田講堂攻防戦に焦点を当てる。その基礎資料は、おおむね国会図書館に入った当時の東大全共闘議長・山本義隆の収集資料である。
だが、当時東大に在学し卒業して社会に出た多くの学生たちや、天皇に内奏した佐藤栄作首相にとっての「天王山」は、違っていた。『佐藤栄作日記』(朝日新聞社) 第三巻には、沖縄返還交渉ほどの頻度ではないが大学問題が多数出てくる。昭和天皇への内奏の内容は、首相の側から明確になる。なぜ東大が「解体」されず存続しえたかが、問われなければならない。
佐藤首相にとっての「学生騒動」は、当初は「反政府暴力」の問題だった。六七年九月の法大、一〇月「羽田闘争」以降頻出する。東大は六八年一一月以降大河内一男総長から加藤一郎代行に代わったところで「新執行部の決意」「暴力批判が甘い」を問題にする。年末に一旦入試中止を覚悟し、六九年一月から警察力導入による「正常化」と入試を天秤にかける。一月一〇日の「秩父宮ラグビー場における学生の会堂」に「スト解除で少々ながら好転のきざし」を見ながら、七学部代表団と合意した「加藤代行の一〇項目の中身には問題」と「確認書」に注目する。一三日「どうも三派より民青の方が恐ろしいようだ」、一四日「只今の処民青の天下、これでは入試に慎重にならざるをえない」。一七日坂田道太文相と加藤代行の会談で「正常化」が約束されるが、確認書の「覚書など守る考えのない事が明となった」。一八日の安田講堂は「暴徒の排除」で「ゴルフにもドライブにも出かけず終日テレビ」、二〇日東大視察。二三日「入試取りやめを決めた東大の加藤代行が政府攻撃の声明」「平常化には尚道遠し」と反発。その間坂田文相と加藤代行の公式交渉には満足できず、林健太郎文学部長・衛藤瀋吉教養学部教授から直接学内情報を得ている。
どうやらこれまでの全共闘基調の東大闘争物語とは違って、時の佐藤栄作首相にとっては、大学当局と「民青系」活動家・一般学生との自主的合意による東大「正常化」「収拾」が問題だったらしく、その後は全国的な学生暴力排除と大学立法に向かう。八月内奏には「なんといっても大学問題・無理したおわびやら今後の進め方など御話」とある。
河内謙策の本書『東大闘争の天王山』は、佐藤首相の当時危惧した東大「確認書」の成立過程を、大学側・学生側の記録をもとに、予備折衛から忠実に再現する。大学側では公式「告示」「提案」のほか加藤総長代行と坂田文相の秘密会談、自民党文教族の動き、評議会・各教授会記録、共闘会議との裏交渉、学生側では本郷・駒場各学部・大学院研究科学生大会を主席者数・各提案の賛否票数まで記録、自治会や各党派・学生グループのさまざまなビラや新聞・雑誌記事など数百点の資料が使われ、A5判七五〇頁の大著になっている。
著者の所属した法学部自治会緑会委員会の活動や、七学部代表団法学部代表として自ら中心的役割を果たした「確認書」原案作成から大学側との予備折衛・大衆団交・決定・批准過程はとりわけ詳細である。「民青系」のみならず経済学部代表町村信孝(後の外相)や法学部学生懇談会等「スト解除」保守派との各項目案作成・合意の裏話など、小熊英二や小杉亮子『東大闘争の語り』(新曜社) 等の著作にはでてこないディテールと教職員・一般学生の動きを、原案起草者としての記憶と第一次資料にもとづき時系列で整理する。山本義隆収集資料の「空白」を埋めて「本当の天王山=1・10確認書」を綿密に再現する。弁護士である著者は、「全構成員自治」をうたう「確認書」の一字一句に厳密で、東大存続を可能にした大学と学生・教職員の社会契約と見なす。
かくいう評者も、当時は法学部緑会学生大会議長で、一〇月学生大会で空前絶後の無期限ストライキを決定し、著者と共に七学部代表団法学部代表五人の一人であった。闘争前夜に評者らがまとめた「東大法学部-栄光と汚辱の九〇年」(『緑会雑誌』復刊七号) も、法学部民主化の理論的前提として参照されており、本書では資料提供者・推薦文寄稿者となっている。ハイライトである一月一〇日に秩父宮ラグビー場に学生七千人を集めた「確認書」決定の際は、評者は本郷キャンパス「防衛」にあたっていたため、著者が時間刻みで描く確認書策定のドラマは、本書で知ることがほとんどだった。
本書が貴重であるのは、「確認書」から半世紀、全共闘の大言壮語した東大「解体」ではなく、「民主化」要求で学生多数の支持を集め東大在続を導いた「民青系」活動家による回顧であり本格的研究だからである。多くの関係者は長く沈黙し、ようやく五〇周年にあたり平田勝『未完の時代』(花伝社) 等いくつかの記念本が出されたが、本書はその記録性・実証性・体系性において出色である。本書のもとになった「確認書」関係資料は、山本義隆資料等と共に、東京大学文書館に収められるという。
卒業後政治学研究に入った評者には、全共闘諸党派への「トロツキスト」規定、「民主化」と「近代化」の関係、運動の国際的意義等について異論もあるが、東大闘争の「空白」を埋める歴史的記録として画期的であることは間違いない。より多くの当事者たちの記憶を掘り起こし、記録が残される契機となるだろう。
コロナ禍で自治会もなくオンデマンド授業を強いられる今日の学生たちにとっては遠い時代のノスタルジアであるかもしれないが、当時学生だった団塊世代には、改めて自己の半世紀の軌跡を内省し、「大学の自治」や学生生活の意義、科学技術の意味を考え直すヒントが見出せるだろう。(加藤哲郎/一橋大学名誉教授・政治学)
ミスター文部省として「ゆとり教育」を推進し、弊誌で「寺脇研が見つめる社会の交差点」を連載する元官僚の寺脇研氏と、「面従腹背」で国民に尽くした元文部科学事務次官の前川喜平氏、東日本大震災後「原発ゼロ」を掲げた銀行家・城南信用金庫元理事長(現・名誉顧問)の吉原毅氏という3人の論客による「公共」をテーマにした鼎談。
本書はこの3人、寺脇氏と前川氏は共に文部省出身で、前川氏と吉原氏は麻布中学・高校の同級生、寺脇氏と吉原氏は私利私欲に走る近代社会を厳しく批判した西部邁氏(弊誌で1998年7月号~2014年10月号まで「平成哲学指南」を執筆)に長年師事していたという縁に導かれて誕生した。
アメリカを中心とするグローバリズムや、規制緩和や市場原理主義を特徴とする新自由主義により、21世紀に入っての20年間は個の分断が急速に進み、経済一辺倒な社会になったと言っても過言ではないだろう。その中で「公」とは何か、「公共」とは何かを論じていく3人の言葉の数々が無意識の意識となってじわじわ染み込んでくる。「私」が大手を振る世の中に一石を投じる。
<前略>
「人はいつ我が家にいると感じるだろう?」。本書はフランスを代表する女性哲学者によるノスタルジーを巡る思考の軌跡だ。自伝的内容から問いを提起し、故郷から切り離されてしまった三者を題材に思考を深めていく。
<中略>
本書は、帰還の本質は、土地や国家に帰ることではないと示唆する。人が根差す場は、言語によって形作られる自信を受け入れてくれる繋がりにあるのだと。元の世界に帰れない私たちは今、奇しくも三者と同じ追放状態にある。めまぐるしく変わり続ける世の中で拠り所を探すため、本書の思索は一助となる。(長田育恵・劇作家)
<前略>ブルデュー理論のエッセンスをバンドデシネ(フランスやベルギーの漫画)形式で解説するというユニークな本。著者考案の「ブルジョワ検定」なんて笑えるコンテンツも収録されており、遊び心のある粋な一冊となっている。
社会階層とうものは単に資産や収入だけで決まるものではない。習慣や慣習、趣味や嗜好、仕事や人付き合いといった日常的な実践を通して、いわば私たちの心と体に染み付いている。本書を眺めるうち、ひらしぶりにブルデューの著作を読んでみようかという気になった。<後略>
<前略>
2019年に邦訳版が刊行され、高い評価を集める「未来のアラブ人 中東の子ども時代」(花伝社)。人気作家リアド・サトゥフの自伝作品で、翻訳した鵜野孝紀さんは
「衝撃的な場面も、ユーモラスな絵で読ませるうまさがある」と語る。
シリア人の父、フランス人の母を持つ作者が、イスラム社会で過ごした幼少期をユニークに描く。少年の視線が父ら大人と不条理を浮き彫りに。かわいい絵柄だが、異文化への戸惑いや人間の暴力性、人々の体臭までも露骨な言葉で表す。「フランス的な風刺がBDの面白さ。忖度のない表現が日本のマンガでは見られない世界観を生む」
<後略>
「 東大闘争の天王山」河内謙策著/J-CASTニュース(2021年1月7日)
https://books.j-cast.com/topics/2021/01/07014071.html
「コロナ後の世界は中国一強か」 矢吹晋 著/日中友好新聞(2021年1月1日第2531号)
「民主主義と人権」を誇る米国は、死亡率が高く中国の死亡率は低い。社会のシステムの優劣がコロナ対策を通じて逆証明されたのではないか?…これは本書の「帯」に書かれた問題提起であり、今や世界中の人びとの関心となっている
そして、この疑問の延長に本書のタイトルのような問いが生まれる。中国通として名高い著者はこの質問に真っ直ぐに答えている。「パンデミックを契機に米中の二極構造は中国主導へと
転換する」との回答である。
この回答の当日はもちろん個々の読者の判断によるが、中国での新型コロナ対策が完璧だったのは細菌戦への備えがあったからだという指摘に、はっとする。日本が731部隊で残虐の限りをしたことが中国人たちの心の傷となって、このような対策をさせているのである。
このほか本書では武漢の海鮮市場は2次感染であり発生源ではないこと、武漢ウイルス研究所が起源との陰謀論が米国起源で広まった詳細な事情、逆にウイルスのゲノム解読で分かった
米国起源説、欧州各国での感染の方が早かったとする学説および一昨年11月に武漢であった世界軍人オリンピックで米国人がかかわった可能性などが述べられている。
要するに「米中問題」としてのコロナ禍論である。一読を勧めたい。
誰がジャンヌを笑えるのか?
木村 裕登
文化と芸術の都パリ、「サルトル、ボーヴォワール、サン=ジェルマン・デ・プレ、ドゥ・マゴの世界」(76頁)パリで文科系の研究をする人は、いったいどのような生活を送っているのだろうか。本書「博論日記」は、カフカについての博論執筆を目指すフランス人学生ジャンヌ・ダルゴンがカフカ研究の世界的権威アレクサンドル・カルポの下で過ごす博士課程の日々を、現実以上にリアルに描いたコミックである。
私自身も数年前にフランス南部の都市トゥールーズにて博士号を取得したのだが、本書を読んで私が抱いた感想を正直に告白するなら、相槌を打ちながら笑わされると同時に、むかし噛み潰した苦虫を図鑑で見つけたような複雑な心境になった。実際、本書は博士課程の学生に立ちはだかる厄介ごとをうまく誇張して描いてみせることで、外部からは知りがたいかもしれない悲喜交交を追体験させる内容になっている(原作者リヴィエールも文学の博士課程に在籍した過去を持っている)。私個人の経験や印象も多分に影響しているが、本書が際立たせていると感じられる博士課程の学生の「敵」をいくつか指摘してみたい(以下、本書の内容を含む記述があります)。
第一は大学の事務員である。博士課程一年目の学期初め、ジャンヌが事務手続きのために博士課程担当の事務員のオフィスを訪れると、開室時間になっても閉ざされたオフィスの扉の前で学生たちが溜まっている。ドアをノックしても返事がないのだ。事務員は電車が遅れたために到着していない、という訳ではなく、ただ部屋の中で呆けている。バカンス明けだからか、仕事をする気が起きないようだ。ついに待ち兼ねた一人が許可なくドアを開けると、事務員は機敏に電話をとって仕事中のフリをする。ようやくジャンヌの番がきて新規登録の手続きを始めようとすると、事務員は文学系の将来がいかに厳しいかを説いてジャンヌの登録を思いとどまらせようとするのだが、それは彼女の身を思ってのことではもちろんなく、面倒な書類仕事を減らすためだ。事務員のこうしたエピソードは作中で何度か顔を見せて、博士課程学生につきまとう、研究という本筋とは外れた「軽微な」困難を垣間見せてくれている。私自身もフランスの大学で、担当者に書類の書き方を質問すると自分で調べろと追い返されるなど、不合理だと感じられる扱いを受けたことが何度もある。当時は何が悪かったのか分からず、もしかしたら外国人差別なのかなどと無駄に悩んでしまったが、今思うとこうしたことはフランスではよくあることのようだ。ジャンヌは他にも非常勤先の事務員(先ほど登場したのとは別の人物)からとんでもない仕打ちを受けるのだが、彼女は最初こそ怒りをあらわにするものの、その後どう解決したのかもよく分からないまま話が進み、数頁後にはすっかり忘れ去られているかのようである。不合理と分かりつつ飲み込まなければならないことがある、というのはフランス人も認めているところなのかもしれない。私に渡仏経験がなければ、こうしたエピソードを純粋に可笑しく読めたに違いない。
第二は指導教員との関係だ。本書訳者による解説でも触れられているが、指導教員から指導もアドバイスももらえないまま最後の口頭試問を迎えるというのはフランスではよく聞く話である。ジャンヌの指導教員カルポもそのご多分にもれない。彼は、ジャンヌとの最初の面談では上の空で適当な褒め言葉を並べて追い返し、三年目に彼女が博論の構成を送ったさいには、半年放置したあげく、構成には特に触れることなくジャンヌの研究に関係があるのかも分からないショーペンハウアー研究を指示している。ジャンヌが振り回される姿は側から見るとコミカルかもしれないが、しかし私には単なる可笑しなフィクションには思えなかった。似たような恐ろしい話は実話としてよく耳にしていたからである。例えば私の指導教員の指導下にあったある学生の話によると、3年目くらいまではOKをもらっていたのに、いざ一通り書き終わって最終確認をもらおうとしたところ、こんなのではダメだと一蹴されて結局提出を認めてもらえなかった、という出来事があったらしい。あるいは、また別のある修士課程の学生から私が聞いた話によると、その年に修論を仕上げることが難しいそうなのでもう一年やりたいということで指導教員と合意が取れていたにもかかわらず、長い夏のバカンスが開けて大学に修士課程の再登録に行ったところ、その指導教員の名前が大学から消えていたと言う。なんと夏の間に別の大学に異動し、そのことを指導学生たちに伝えていなかったのでる(ちなみにその学生は、慌てて他に受け入れてもらえる先生を探して再登録し、最終的には見事に修論を提出できた)。言うまでもないが、かなり面倒見の良い先生もいるし、実は学生側になんらかの問題があったという可能性もある。しかし、フランスの大学では教授に大きな自由が与えられており、そのことがにわかには信じられないエピソードを生むことになっていることは事実である。本書でも、ジャンヌのそうした苦難がリアルかつコミカルに描かれている。
第三の、そして最大の敵は、言うまでもなくジャンヌ自身である。最初こそ楽観的だったジャンヌも、食べるための仕事に時間を奪われ、なかなか博論を進められない。長大な参考文献リストを作り、壮大な構想を練っては直し、頭の中では立派な建築物が出来上がっている。あとは書くだけ、書き始めればすぐだから・・・そう思い込みながら月日だけが過ぎていく。親戚やその子供、かつての同級生などは、彼女の焦燥感を煽るように「何やってるの?」といった素朴な言葉で刺し続けてくる。ジャンヌは次第に憔悴し、周囲に対して自らを閉ざしてしまう。そしてそうした自分自身にも嫌気がさして、肝心の博論にはますます集中できなくなってしまう。こうした博士課程院生の閉塞感自体も非常にリアリティのあるものだが、本書ではそれがフルカラーの漫画という媒体の特性を上手く活かした仕方で巧みに描写されている。ここで、内容のみならずその描写の仕方についてもごく簡単に触れておきたい。まず目を引くこととして、明示的にカフカ引用してその霧中のような雰囲気になぞらえる形でジャンヌの世界を大きく描く場面があり、カフカ的特性の分析は手に余るので、ここでは別角度から特徴的な描写手法を一つだけ指摘するにとどめたい。本書冒頭、先ほども触れた初年度の登録にさいして事務員がジャンヌの登録を思いとどまらせようとするとき、事務員はジャンヌに、先輩たちが手続きのために撮ってきた証明写真の変遷を見せている(フランスでは毎年学期初めに登録手続きを行う必要があり、そのつど書類や学生証に貼る写真を提出する)。そこに写っている人は皆、初年度こそ若々しく元気な表情を見せているものの、数年後には無惨な姿に変わり果てている。それを見た初年度のジャンヌは、驚きながらも気にかけることなく、凛々しい写真を提出して前に踏み出してゆく。しかし、二年目三年目となると写真の中の彼女は次第に疲弊した表情を見せ、最終的には先輩たちと同じく異様な風体を晒していく。ここで、ジャンヌの証明写真の変遷が、以前見た先輩たちのそれと似た構図で描かれている。他人事だとみなしていたのとまったく同じ道へと判で押したように落ち込んでゆくという点を強調するかのような仕方で描かれているのである。これはほんの一例だが、本書は様々な描写手法を通じて、単なる喜劇に止まらない毒を表現しているように感じられる。自身もかつて院生であった作者がこうした描写にどのような意図を込めているのかを想像することも、本書が与える大きな魅力の一つだろう。そしてもちろん、渡仏前に本書に出会えた人は、こうした毒を事前に味わっておくことで、留学中に出会う困難のいくらかを苦痛なくやり過ごせるかもしれない。
以上のように、パリにおける博士課程の泥くさい現実をコミカルに描写する事を通して、本書は苦味を含んだ多彩な笑いを提供してくれる。今回私が指摘する点はこれくらいにしておきたいが、他にも本書には目を引く代償様々なエピソードが散りばめられている。例えば何度か言及した本書冒頭の事務室前には、海外の国際学会で発表できることを嬉々として自慢する学生がいるのだが、彼はその後何度か背景に姿を見せている。そうした様々なタイプのキャラクターの経緯やその後をあれこれ想像するのも楽しいに違いない。あるいは、現代フランスの社会・経済状況が学歴やポスドク生活や大学制度にどのような影響を与えているのか、またはよく「個人主義的」だと言われるフランスでの対人関係や「空気をよむ」といった事柄が実際はどのような具合なのか、こうした文化的ないし社会学的な考察に誘う側面もあるだろう(翻訳者による解説がこうした点に触れている)。もちろん、文系、特に文学関係の院生という現代社会におけるレアな存在者の生活とは一体どのようなものなのか想像もつかないという方にとってであれば、本書は好奇心(ないし怖いもの見たさ)を満たしてくれるものになるだろう。そして、もしもあなたの身近に博士課程で逡巡している人がいて、その人をどう扱っていいやら分からずお困りであれば、本書はあなたにどうするのが良いかを直ちに教えてくれるだろう――つまり、触れないのが1番だ、ということを。
心がコバニに呼ばれる理由
わたしは普段、めったにニュース番組を見ない。理由は、殺人事件や事故、それに紛争問題などの報道を見て、暗い気持ちになるのが嫌だと思ってしまうから。でも、それでいいの?という思いもあった。このままずっと、目を塞いで、遠ざけていたら、人間として、なにかとても大切なものが足りないまま、ぼんやり生きていくことになるような気がしていた。同じ生きもの、少しなにかが違っていれば、同じ場所にいたかもしれない人、そして彼らの生きる世界。それらをもう少しピントを合わせて見てみたい。だからわたしは『コバニ・コーリング』を読む決意をした。
美しい星夜の下、聞こえる音。バーン、ラタタタッ、タン・タン・タン、ズブーン。この本は、作者のイタリア人漫画家ゼロカルカーレが、すぐそばの戦場から聞こえる銃声の解説を受けているシーンから始まる。戦場の名前はコバニ。彼はなぜ、そのような場所にいるのか。まず、女性の解放、異なる信仰の共生、富の分配などを追求するクルドの革命に惹かれているから。この本には、たくさんの戦う女性が登場する。彼女たちは男性の指図を受けることなく凛と生きており、男性たちも彼女らを認めている。また、特に心を掴まれたことなのだが、クルドの人々は、餓死した敵にも敬意を払い、終戦後に家族が亡骸を引き取りに来たときのため埋葬場所を記録しているそうだ。40年間も戦い続け、仲間を殺してきた相手に対し、なぜそんなことができるのだろう。どうしてそのような心を持ち続けられるのだろう。人類はこの答えを知らなければいけないと思う。「心に自由と人間らしさを持っているなら、男だろうが、女だろうが、コバニに駆けつけるべき」。ゼロカルカーレが戦争をその心に刻みつける中で見つけた、彼がコバニに行った一番の理由。この言葉に、この本の全てが凝縮されていると思う。そして、この言葉の意味が理解できることが、人間を人間たらしめているのだと思う。
京都大学3回生
徳岡 柚月
人々は、経済的状態でまず「富裕層」とその対極にある「貧困層」に分けられる。<中略>
しかし格差社会を考えるのであれば、貧困層の対極にある富裕層の本格的研究がなされなければ、十分とはいえない。それをフランスのミシェル・パンソンとモニク・パンソン=シャルロの社会学者夫婦が行った。パリの高級屋敷街などに出かけ調査と研究を行い、それをまとめた本が話題になった。本書はその話題書の骨子を漫画にして分かりやすくしたものである。<中略>
「(非富裕層は)富裕層を手本にするべきだ」と逆説じみたことをいう。富裕層を手本にといってももちろん新自由主義を信じて努力し、工夫をこらせば富裕層の仲間になれるということではない。富裕層の支配力は、先に触れたように、彼らの「連帯、組織、団結」にこそあるから、非富裕層は新自由主義などに惑わされす、自らの階級団結から始めよというのである。金持ち階級が本書で描かれたようなものであれば、新自由主義などを信じているはずがない。
その女性はくりっとした目でこちらを見つめてくる。寂しげで力強いまなざしが何かを訴えているようだ。メキシコの画家フリーダ・カーロが描く自画像は独特のオーラをまとう。本書はイラストと文章で語る彼女の評伝である。
<中略> 本書のイラストレーターはフリーダの作品にアレンジを加えて、一代記の各場面を彩るイラストに変えた。他方、評伝作者はフリーダの手紙や日記からひんぱんに引用して、波瀾に富んだ人生を本人の言葉で語らせる。
「悲しみを消そうを酒におぼれたけれど、不幸な女たちは泳ぐことを覚えた」とフリーダは書く。彼女は生涯に30回以上の手術に耐えた、ついに壊疽になった右足を切断したときには「飛ぶための翼があるなら、どうして脚などいるのでしょう!」と日記に記している。
死をつねに見つめながら、生きる希望を失わないで彼女の魂に驚愕し、息を詰めてページをめくる。そのまなざしとことばは最期まで繊細で剛胆な魅力を放っている。
(評・栩木伸明氏・アイルランド文学者/早稲田大学教授)
その女性はくりっとした目でこちらを見つめてくる。寂しげで力強いまなざしが何かを訴えているようだ。メキシコの画家フリーダ・カーロが描く自画像は独特のオーラをまとう。本書はイラストと文章で語る彼女の評伝である。
<中略> 本書のイラストレーターはフリーダの作品にアレンジを加えて、一代記の各場面を彩るイラストに変えた。他方、評伝作者はフリーダの手紙や日記からひんぱんに引用して、波瀾に富んだ人生を本人の言葉で語らせる。
「悲しみを消そうと酒におぼれたけれど、不幸な女たちは泳ぐことを覚えた」とフリーダは書く。彼女は生涯に30回以上の手術に耐えた、ついに壊疽になった右足を切断したときには「飛ぶための翼があるなら、どうして脚などいるのでしょう!」と日記に記している。
死をつねに見つめながら、生きる希望を失わないで彼女の魂に驚愕し、息を詰めてページをめくる。そのまなざしとことばは最期まで繊細で剛胆な魅力を放っている。
(評・栩木伸明氏・アイルランド文学者/早稲田大学教授)
「新日和見主義事件」とは何だったのか
出版社「花伝社」創業者が東大生として生きた1960年代=「未完の時代」の記録 植村 隆
著者は、わたしより八歳年長で、いわゆる学生運動的な視線でいえば、わたしとの間には、時間的なことだけではなく、運動の方位に大きな暗渠が横たわっている。しかし、六十年前後から七十年前後までの反体制的渦動は大きなうねりをもって進んでいったと考えれば、そこに身を置いた、あるいは関わったことは、誰にとっても貴重で切実な体験であったといってもいい。
著者は岐阜県可児郡御嵩町で生まれ、父親は小学校の教師をしていた。地元の東濃高校を六十年三月卒業、現役で入学できなかったため、一年間、東京で浪人生活をし、六十年六・一五は、“現場”にいた。翌年、東大文Ⅱに合格。入学して、駒場寮に入る。「駒場寮はサークルごとに部屋を割り当て」られていて、著者は「中国研究会の部屋に所属することにした」が、そこは「代々学生運動の活動家の拠点の部屋」だったという。「東大に入ったらすぐに学生運動に参加するつもりでいたし」、「共産党にも入党するつもりでいた」という著者は、推薦者が川上徹らで、九月に入党する。さらに民青駒場班が結成されて指導部の一員となる。その後、駒場寮委員長になり、川上徹の後を継ぎ、再建全学連(民青系)の委員長にもなる。在学は“八年間”。安田講堂攻防戦の時は、「共産党の現地対策本部」を置いていた二木旅館(ふたき旅館、二〇一一年頃閉館)に詰めていた。
「(略)“安田講堂攻防戦”は東大紛争の本筋と解決する道からは大きくズレた、一部の孤立した学生の動きであり、大学への権力の介入を許しただけの盲動であったといえよう。(略)翌日の早朝から二木旅館のテレビで安田講堂攻防戦を見ることになる。旅館の外に出ると、催涙ガスと思われるものが、かすかに臭ってくる。正門に近づいて構内を見ると、八五〇〇名の機動隊が学内を占拠する姿が見え、全共闘がこうした事態を招いたとはいえ、何か叫びたい衝動に駆られた。」
そして、著者は六九年六月、東大文学部を卒業する。「八年在籍しても授業にまともに出ることもせず、何一つまとまった勉強・学問をしなかったにも拘わらず、(略)紛争のどさくさに紛れて卒業証書を手にしたともいえなくもない」と述べながらも、「郷里の父母にこの通り卒業出来たよと言って卒業証書を届けると、父はこれを額縁に入れて長い間飾っていた」という。
わたしが、本書の中で最も関心を抱いたのは六一年から六九年までの学生運動の動態ではない。書名の副題に六〇年代の記憶とあるが、むしろその後のことである。アナキスト系も含む新左翼系が苛烈になっていくこととは、反転するかのように内部粛清のようなことが、党と民青の往還のなかで生起したのだ。本書では、「第5章 新日和見主義事件―1969年~1972年」で語られていく。わたしは、同時代社の創業者、川上徹(一九四〇~二〇一五年)の『査問』(筑摩書房刊・九七年)を刊行されて直ぐに読んだだけで、その後の動向はなにも知らない。党直轄の新日本出版社に勤務していた著者が直接、〈事件〉に連座したわけではないから、客観的に捉えているのではないかと読み進めていった。
「新日和見主義事件とは、一九七二年に起こった、主として民青(略)を中心に大量の青年運動の幹部が反党分派として査問され処分された事件である。/「新日和見主義」というレッテルは共産党中央の方でそのように名づけたもので、弾劾された方が自らそう名乗ったわけではない。何をもって「新日和見主義」とされるかは、極めて曖昧であった。」
そして、「党から処分された者は一〇〇名以上、査問されたものは六〇〇名に及」んだらしい。著者が東大入学後、様々なかたちで運動の方向を指示してきた広谷俊二(一九一三~八二年)が、七一年七月頃、著者も参加していた勉強会で新党結成を呼び掛けたという。同年一二月、著者は、司法試験の勉強に入るという理由で、新日本出版社を辞職する。そして、広谷、川上らで「こころ派」という分派が結成される。
新日和見主義事件を著者は、次のように見定めていく。
「一九六〇年代の学生運動を党の学生対策部長として指導した広谷俊二氏が、自分が党から干されたことを不満として、学生運動を基盤とし、その中心的な存在であった川上氏らに働きかけ、最終的には新党結成に至る分派闘争を目論んで仕組んだ事件であったと思われる。」「共産党の人民的議会主義への路線転換に伴って引き起こされた事件であったことは明らかである。」
その後、共産党を離党し八五年に花伝社を創業した著者は、川上徹の「お別れ会」(一五年一月)で次のように述べている。
「ひとつの時代が確実に終わりました。我ら「未完の時代」は終わりました」。(評論家)
メキシコの女性画家、フリーダ・カーロ(1907~54年)の生涯を絵と文でたどる。著者はスペインのイラストレーター。
フリーダの作品を、ポップでチャーミングにアレンジした絵が全編を彩る。
太くつながった野性味あふれる眉毛。フリーダが描いた自画像には、目をそらせない魔力がある。著者が描くフリーダも特徴はそのままに、愁いや陰り、毒々しさを和らげた。
<中略>
本書は伝記だが虚実入り交じる。<中略>著者は日記や書簡を引いて真実の姿に迫りつつ、フリーダがでっちあげたうそも織り込んだ。
「ほんとうに重要なのは、実際に何があったかではなく、彼女がどう感じていたかです」。巻末にはフリーダ作品の説明もある。じっと絵を見つめ、絵が語る言葉から、フリーダの痛みを感じたい。
「わたしはわたし自身を描く。わたしが一番よく知っているのはわたしだから」-。セルフポートレートで知られるメキシコの画家フリーダ・カーロ(一九〇七~五四年)の作品と日記をもとに、彼女の激しい人生をたどったグラフィックノベル。スペインで二〇一六年に刊行され、既に十二の言語に翻訳されている。フリーダの特徴を捉えたカラフルな魅力的だ。
「 ウサギと化学兵器」いのうえせつこ著/神奈川新聞(2020年6月28日)
https://www.kanaloco.jp/article/entry-393567.html
<前略>
「まだ博論書いてるの?」「その研究は何の役に立つの?」「いつまで学生気分でいるつもりだ」といった家族や恋人の無理解の四面楚歌で、研究テーマであるカフカのことを、やや病んででもいるほどに考え続けるジャンヌ。まさに「出口も入り口も見えないトンネルを、それでも延々と進まなければならない院生・オーバードクター・研究者の実態」。でもコミカルな描き方で面白く読むことができる。立場は違えど、日常的に悶々とすることは誰にもある。読めば、頑張ろうと思える1冊。<後略>
フランスにはバンド・デシネ、略してBD(ベデ)と呼ばれる大人向けマンガの伝統がある。機知に富み、ときにシニカルでほろ苦く、フルカラーの作品も多い。
大学院の博士課程で研究を行う女性が実体験をもとにそんなBDを描き、ブログで発表したところ、大いに人気を博して本になり、博士論文執筆に悩む学生のバイブルとして各国で読みつがれているという。
<中略>
主人公のジャンヌは、パリ郊外で社会模範的に問題を抱える生徒を教える仕事をしているが
、カフカについての博士論文を書きたいという夢をもっている。<中略>念願の研究者となった彼女は舞い上がるが、そこから長い苦難の日々が始まる。
<中略>
この作品が国境を超えて愛読されてきたのは、大学業界の内輪話として共感を呼んだだけでなく、テーマと手法がみごとに調和した、それ自体が文学性をもつ作品だったからだ。
さまざまな困難を抱えつつも、目的に向かって突き進むジャンヌの心の揺らぎが、小さな一コマのちょっとした表情やセリフ、色遣いから伝わってくる。文学への愛と、実人生での幸福を両立させることはかくも困難だが、そうやすやすと諦めてしまうべきではない。そんな勇気を与えてくれる、まぎれもない名著である。 (文芸評論家)
<前略>
まずは、リアド・サトゥフの『未来のアラブ人』です。
第1巻では、6歳になるまでの幼年期が語られましたが、この第2巻では、6〜7歳のサトゥフ少年がシリアで暮らした小学校時代が主に語られます。
<中略>
貧富の異常な格差などショッキングなことが多く描かれますが、重要なのはサトゥフ少年がそれらを拒否せず、すべて自分の身に受けとめていくことです。
この少年のまなざしに、異文化に接するときの私達へのヒントがあります。サトゥフ少年と一緒にシリアのアラブ文化を見ていくと、私たちにもそれをありのままにとらえる心が次第に養われていく気がするのです。そこがこのマンガの懐の深いところです。
もう1冊は、ティファンヌ・リヴィエールの『博論日記』です。
カフカについての博士論文を書くことに生活のすべてをささげる女性の物語<中略>異様なリアリティをもって迫ってきます。しかし、ヒロインに絶妙な距離を置くことで、そのカフカの小説のような迷宮世界は、不思議なユーモアを滲み出させます。そして、ヒロインの不毛に見える人生がなんだか愛おしく思えてくるのです。そこにこのマンガの救いがあります。(学習院大学教授)に今のコロナ禍予見
全7編からなる短編集。表題作の一つ「墳墓」は『民主文学』2011年5月号初出。前年4月末に九州で発生した家畜の法定伝染病「口蹄疫」の現場に取材した作品である。
「 ウサギと化学兵器」いのうえせつこ著/J-CASTニュース(2020年6月10日)
https://www.excite.co.jp/news/article/Jcast_bookwatch_book11840/
視聴覚障害者の中には、歩道の脇に建つ塀と柵の違いを音で聴き分けることができる人もいるという。塀の反響音はまだらに、その人の耳には届くらしい。
本書をよんだとき、そんなエピソードを思い出した。若者が発する声に対して、著者は驚くほど鋭敏な聴覚を持ち合わせている。いや、声にならない呻きからすらも、その言わんと欲するものをすくい取る術を熟知している。
塀や柵それ自体は音を発しない。反響させて聞き取るしかない。それですら鈍感な私には聴き取れないだろう。若者の呻きも同様である。声を発する人たちであれば、そしてその声が大きければ、多少なりともその訴えは耳に入ってくる。問題は、困難な状況にいるにもかかわらず、ほとんど声を発しない人たちの呻きである。いくら耳を澄ましても聞こえてはこない。では、いったい何を反響させて聴き取ればよいのだろうか。
今日、ごく一部の若者を除いて、その圧倒的多数は声高に異論を申し立てたりなどしない。それは、声を挙げたところで何も変わらない無力さを噛み締める日々のなかで、「生の最小限主義」を処世術に生きているからである。あるいは、無力者というレッテルの自己貼りを避け、最低限の自尊感情を死守する方法だと心得ているからである。だとすれば、より深刻な状況置かれている若者ほど、現実には声を挙げられない状態にあるといってよい。
事実、そんな生きづらさを心配する大人からの問いかけに対し、解決が困難で切実な問題を抱えている若者ほど、「いや、大丈夫です」という常套文句を返してくることが多い。この「認識論的アポリア」から抜け出すにはどうしたらよいのか。彼らの言葉をそのまま鵜呑みにすることなく、彼らが発する言葉の裏にある生きづらさを掘り起こすにはどうしたらよいか。彼らを励まし、声を上げてもいいんだよと勇気づけるべきなのだろうか。
著者は、それは違うという。「言えない状況に置かれている者に対して、苦しかったら言えばいいだろうと要求することは、自覚するか否かにかかわらず、言えない自分が悪いという無力の自認を脅迫的に強化させる振る舞いというほかない」からである。彼らの前には、希望を抱きづらい現実が立ちはだかっている。それが沈黙を強いている。そんな状況下にある者に対して、悲惨な現実に直面しているなら声をあげて然るべきだと強要するのは、その声を抹殺しようとする振る舞いとまったく同類である。
そこで本書が採る巧みな戦略は、「若年層が自身を表現するさまざまな技法や回路」にひたすら耳を傾け、声にならない声を拾い上げることである。かくしてライトノベルの語りに、また恋愛行動の変容に、さらには自傷行為のような営みにも、その敏感な感覚をさらに研ぎ澄まし、そこに反響している若者の呻きを細やかにすくい取っていく。そこから浮かび上がってくるのは、新自由主義下で自己責任主義が蔓延するこの社会を生き抜こうとする若者の姿にほかならない。
したがって、その若者の姿は、この日本社会への応答として立ち現れたものである。それを若者自身の属性であるかのように物象化しては捉えてはならない。彼ら自身の属性であるかのように看做す眼差しは、たとえそれが支援の手を差し伸べようという善意からのものであったとしても、既存の社会秩序への彼らを馴致させるという意味合いを内包してしまうことになる。
「本来声を上げるべきひどい閉塞状態におかれているのに、その声を出すことのできない無力な若者という前提は、問いただし追求すべき課題を逆転させてしまう」と著者は述べる。それでは、社会秩序の歪んだあり方のほうが不問に付されてしまうからである。そうではなく、「黙ってしまって何を考えているかわからないという状態、その状況、シチュエーションに持ち込んだ側の責任が問われなければいけない」のである。
若者の抱える困難を克服するために努力すべき主体が、その劣悪な社会環境を作り出した大人の側でなく、その社会秩序に適応できない若者の側だとすれば、困難な状況から脱しようと声を挙げ、努力する意欲を示している若者だけが、その支援の対象となってしまう。本来、もっとも支援が必要なのは、むしろ自ら積極的には声を発することもなく、じっと黙したまま人生を諦めている人たちであるはずだが、そのような人たちは支援の埒外に置かれることになる。私たちは、本書のこの指摘を重く受け止めなければならない。
本書が上梓されたのは昨年末である。当然ながら、現在の私たちが直面しているコロナ禍には触れられていない。しかし本書の射程は、今日の状況下で若者が直面している困難にも十分に行き届いている。コロナ禍は人びとに等しく訪れるわけではない。世界最大の感染者数を抱える米国では、多数派の白人より少数派の黒人やヒスパニックのほうが死亡率も重症化率も高く、英国でも白人より黒人やアジア系の方が高い。ここには衣食住の環境や医療制度をめぐる社会的格差の影響を明らかに見てとることができる。
置かれた状況は日本の若者も同様である。日本の感染者数はまだ少ない。しかし、コロナ禍を免れるために「ステイホーム」というスローガンを掲げるとき、そのホームがいったいどんな状況にあるのか、どれほどの目配りがされているのだろうか。とりわけ若者にとって、それがどんな場であるのか正しく認識されているだろうか。たとえば、家庭での学習の比重が高まると学力格差が広がるという事実だけなら、それでも近年はよく知られるようになっているだろう。親の教育態度や教育費の負担をめぐる格差だけが問題ではない。ネットによる授業配信もこれから広がっていけば、学習部屋を自宅内に確保できるのかとか、通信環境は充実しているのかといった自宅格差が、そのまま学力格差を広げていくであろうことも容易に察しがつく。
しかし、教育環境をめぐる家庭格差とは、家庭がどれだけ学習環境を整えてやれるかだけで決まるものではない。たとえば、分からないところをSNS等で相談できる友だちの有無が、学習の効率だけでなくその意欲をも大きく左右する。そして、このような人間関係も、若者自身の属性というより、彼の置かれた家庭環境の影響を大きく受ける。放課後、部活動に加わったり遊興施設へ出向いたりといった金銭的余裕も時間もなく、日々アルバイトに精を出さねば生活が成り立たない若者にとって、いちいち誘いを断らねばならない友だちを作るより、いっそのこと孤立を選ぶほうが、その自尊感情は守られやすい。こうして家庭の事情が関係格差をもたらし、その関係格差が学力格差を助長していく。
本書を読めば、こういった点への細やかな配慮の必要性にも気づかされることになる。教育上の問題だけではない。「ステイホーム」というかけ声の影で、そのホームが安心安全な場などではなく、子ども食堂が閉鎖されるなかで満足に食事をとれなかったり、家庭という密室のなかで虐待などの身の危険にさらされたりしている若者がいることにも留意せねばならない。たとえば学校閉鎖が長引くと、意図せざる妊娠をした女子生徒からの相談件数が増えるという指摘もある。このとき私たちは、自宅にいないでいったいどこをうろつき回っているのかと、彼女らの行動に眉をひそめるのではなく、なぜ自宅に自分の居場所がないのか、その事情に目を向けなければならない。なかには身を置く家庭そのものがなく、施設で暮らす若者もいるのが現実である。
若者の声なき声を探し出し、その呻きを聴き取っていくとはそういうことである。いったい何が「不要不急」であるかは、人によってそれぞれ違う。自宅から外に出ない、ことを自分自身で選択でき、その行動を自己管理できるのは恵まれた家庭環境の若者だけである。さらに付言しておけば、このとき家庭の親たちを責めても問題は解決しない。そんな親たちの置かれた境遇や態度から、親たち自身の声なき声をも聴き取り、彼らをそのような「シチュエーションに持ち込んだ側の責任が問われなければいけない。」そこには、家庭の自己責任を過度に偏重する今日の社会状況が透けて見えてくるだろう。この本書は、いまだからこそ私たちが採らねばならない視座と態度について、重度で明確な指針を示してくれる。(筑波大学人文社会学系教授・社会学)
「 横浜防火帯建築を読み解く」藤岡泰寛編/J-CASTニュース(2020年5月29日)
https://books.j-cast.com/2020/05/29011823.html
「 声なき叫び」ファリダ・アフマディ作 石谷尚子訳/J-CASTニュース(2020年5月19日)
https://books.j-cast.com/2020/05/19011680.html
「わたしの鵞鳥・墳墓」稲沢潤子 著/しんぶん赤旗日曜版(2020年5月17日)
口蹄疫被害に今のコロナ禍予見
全7編からなる短編集。表題作の一つ「墳墓」は『民主文学』2011年5月号初出。前年4月末に九州で発生した家畜の法定伝染病「口蹄疫」の現場に取材した作品である。
2カ月前に病牛数頭の「殺処分」で抑えたウイルスが再び広がり、豚800頭の繁殖農家の天賀英二ら一帯の関係者は消毒など感染拡大防止に必死になるが、病畜は日ごと増えてゆく。大型連休の観光収入への影響を恐れて行政の動きは鈍い。近隣の往来と外出禁止のみが叫ばれ、県は数頭の「ブランドものの種牛の避難完了」に、国は該当農家への「補償額」の抑制に汲々とし、町は「埋却地」確保に駆け回る。その間にウイルスは制御不能になり、天賀の家族にとって「恩ある豚」たちも含めて「処分対象」の家畜は11万頭を超えた。手塩にかけた種豚の「ユウ太もケン太も」落ち着いて「電殺」の場に歩いていったと告げる天賀。「涙を浮かべ」る妻のサチ江。
生活と経済効率の向上だけを目指して人も家畜も「身を粉にして働いた。ウイルスは空中を舞いながら、限界、限界と歌っているのではあるまいか」…。作品世界から10年後。新型コロナウイルス禍に揺れる日本の現在を作品が鋭く予見している。
富の独り占めをもくろみ、生きるもの全てのためにある筈の政治や経済を陰で操る「強いやつ」には「雪の夜の夕張」「家」に登場する久住さんのように「負けるとわかって」いても諦めず何度でも「向かっていく」しかない。彼は劣悪な労働条件下で働く下・孫請けの炭鉱労働者たちの友となって生活相談にのる共産党員、「科学と人情の党」の人。おんぼろの家に住んでいながら他人に尽くし、大真面目で真剣なだけにどこか間が抜けて見え、まるで映画の中のチャプリン。笑わせた後でこちらの何かを問うてくる。社会悪の告発のみでなく、弱い立場の人々に身を寄せ語りかけ、静かに力づけようとする短編集だ。
評者 小林八重子 文芸評論家
本書の読み方は立場により異なる。前衛党に関心を持って読めば、党の支配に史実であった著者の人生の真摯さ、70年代の「新日和見主義事件」(分派活動を疑っての査問)をめぐる党の人権無視への怒りがテーマである。
<中略>
戦後民主主義世代の多くは、党派性の強い生き方と距離を置いた。一方で著者は、人生の節目節目に党への忠誠心を大切にする道を選んだ。東大に8年在籍し、全寮連や全学連の委員長を務めた。折々の政治行動における教授たちとの接点、新左翼との駆け引き、党の学生対策責任者からの強引な命令――と60年代の政治裏面史を正直に書き残すのは、世代の役割との確信がうかがえる。
<後略>
保阪正康(評論家)
東大紛争から約半世紀が経過した。同著は、元全学連委員長で、出版社「花伝社」を創立して以来同社で代表取締役を務める平田勝氏の回想録である。昭和三十年代(一九六〇年代)、学生運動に没頭したため東京大学に八年間在学し、いろいろ折衝にあたった著者の証言には重みがあり、これまで学生運動といえば東大安田講堂の攻防劇が象徴的となっていたが、日共・民青系の立場で学生運動を領導した貴重な証言となっている。共産党本部で宮本顕治氏との面談のみならず、「右派」と目される林健太郎氏や相良享氏など、東大教職員についての回想は実に面白い。当時、当局と水面下で交渉にあたった著者でなければ書けない内容だ。是非、ご一読を薦めたい。(編)
「裁判位制度は本当に必要ですか?」織田信夫 著/J-CASTニュース(2020年5月11日)
https://books.j-cast.com/2020/05/12011590.html
「未来のアラブ人2」リアド・サトゥフ作 鵜野孝紀訳/毎日新聞(2020年4月22日)
https://mainichi.jp/articles/20200422/dde/014/040/001000c
世界的ベストセラーの漫画『未来のアラブ人』(リアド・サトゥフ著、鵜野孝紀訳・花伝社)の第2巻が出版された。シリア人の父とフランス人の母の間に生まれた著者による自伝的作品。<中略>
第2巻では、主人公のリアドがシリアの小学校に本格的に通い始める。<中略>学校に通うことで少年の世界は一気に広がる。ビデオデッキや洗濯機を手に入れるのに苦労するシリアと、何でも手に入るフランスとの対比も鮮やかだ。同地では第5巻が秋にも出版される。日本でもさらなる続巻の刊行がまたれる。(広瀬登)
「未来のアラブ人2」リアド・サトゥフ作 鵜野孝紀訳/ダ・ヴィンチニュース(2020年4月21日)
https://ddnavi.com/review/611986/a/
「 未完の時代」平田勝 著/J-CAST BOOKウォッチ(2020年4月19日)
https://books.j-cast.com/2020/04/19011403.html
「見えない違い」ジュリー・ダシェ 原作 マドモワゼル・カロリーヌ 作画 原正人 翻訳
四国新聞4月3日(共同通信配信)
当事者による自己表現
<前略>「見えない違い 私はアスペルガー」(花伝社)は、自らをモデルにしたジュリー・ダシェの原作を妊娠と鬱に関する作品も描いているマドモワゼル・カロリーヌが作画したフランスのコミックス。自分が「アスピー(アスペルガー症候群のポジティブな自称)」と分かったマルグリットは「私自身と仲直り」できた気持ちとなり、心が晴れやかに。そして「違いとは病だという考え方を批判的に捉えられる」ようになるのだった。
興味深いのは、そうした心の変化が、漫画という形式で表現されている点。例えば、最初の方では、世界全体はモノクロで描かれ、マルグリットをイラつかせる他者の声=フキダシは真っ赤に塗られているが、自分の状態を知った後、漫画はフルカラーで描かれるようになる。文字通り世界が彩られるのだ。
<中略>すべての人がそれぞれ異なった知覚で世界を認識しており、それでも何らかのメディアを通して分かり合う努力をしながら生きていくしかない、という当たり前のことを改めて知るのだった。(漫画研究者・伊藤遊)
「韓国市民運動に学ぶ」宇都宮健児 著/「朝鮮新報」著者インタビュー 2020年3月30日(月)
友好への種を撒こう④
「とんでもない」歴史修正主義
「韓日併合条約」調印100年を迎えた2010年、日本弁護士連合会(以下、日弁連)と大韓弁護士協会は共同宣言を発表し、植民地支配や強制動員の被害者の被害回復のために持続的な調査研究・交流を通じて協働することとした。当時、日弁連会長を務めた弁護士・宇都宮健児さんに話を聞いた。
――日本と朝鮮半島の関係悪化について、どのように見ていますか。
政権そのものが保守的・右翼的になっている中で、過去の侵略戦争や植民地支配を直視して真摯に反省するところか、歴史修正主義の威力は日々、増しています。
2018年、韓国の大法院は、新日本製鉄(現新日鉄住金)に対して、元「徴用工」4人に1人あたり1億㌆(訳1千万円)の損害賠償を命じました。
これに対して日本政府は、徴用工問題は、1965年の請求権協定ですべて解決済みであり、大法院の判断は「国際法違反」であると主張している。それに対し、私に対して韓国のメディアから取材が殺到しましたが、日本のメディアからはほとんどありませんでした。
問題のポイントは、個人の損害賠償請求権は、協定や条約によって消滅させることはできないということです。国際的にこれは常識であり、大法院判決を「国際法違反」だというのは法的に誤っています。
民主主義社会では権力の濫用を防ぐため三権が分立されています。その中で司法には、市民の自由や人権を守るために立法と行政をチェックする役割がある。だから、仮に司法が政府のものとは違う考え方を示しても、民主主義国家としておかしいことではありません。しかし、日本のメディアは司法と行政を区別せず、判決を通じ韓国政府を批判しています。これは筋違いです。
ましてや65年は朴正熙軍事独裁世間時代。市民らの声を抜きにして、国家間で頭ごなしに結んだ協定であり、日本の侵略戦争や植民地支配を謝罪したうえで結ばれたものではありません。そういう2つの面で限界のある協定でした。
徴用工問題は、日本の植民地支配の中で起きた人権侵害の問題で、日本政府と企業は当然、被害者に向き合い、謝罪し、賠償すべきです。にもかかわらず日本政府は、大法院判決と同時に政府まで批判し、報復的な措置を取りました。これはとんでもないことです。
小さな交流、過小評価してはいけない
――国家間の関係悪化が一般の市民たちの意識にも影響を与えているようです。
日本のメディアのありかたも問題です。テレビのコメンテーターたちは「徴用工」問題に関して、問題のいきさつや、国際法的な考え方を無視して発言し、それによって世論が形成されてしまっている。誤解を生むような報道も多い。
大法院判決について、本来なら専門家の声を真っ先に聴くべきです。メディアは、法律の専門家集団で日弁連と大韓弁護士協会が発表した10年の共同宣言を読んで、当時の話を取材にきて当然なのに、それについては、最近やっと東京新聞が取材にきた程度です。今の日本のメディアは行政をチェックするという本来の役割を果たすどころか、政府の言いなりになっている。非常に情けないと思います。
――朝鮮学校に対する補助金問題や高校無償化問題、幼保無償化問題について、日弁連から繰り返し声明や意見が出ています。
朝鮮学校差別に対して日弁連では何回も声明や意見書を出してきましたが、これは当然です。人権侵害であり、正されるべき問題だからです。
日本の司法も政権に忖度していてだらしない。まっとうな民主主義国家とはいえません。朝鮮学校の補助金の問題では、日本は国際人権規約や人権差別撤廃条約、子どもの権利条約などの国際条約を批准しており、条約国として義務を果たさなくてはならない。その中には民族教育の保障も含まれますが、それを政府は守っていません。国連からは朝鮮学校の補助金問題に関し、勧告などの厳しい見解が出ています。
日本政府は16年3月29日に通知「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について」で、朝鮮学校に関する補助金の公益性を見直すよう地方自治体に求めました。国と対等なはずの地方自治体は自律的な判断ができるはずなのに、ほとんどの自治体がこの通知になびいています。これこそ司法が正さなければいけないのに、そうなっていません。嘆かわしいことです。
――私たち一人ひとりができることはなんでしょう。
国家間の関係は「戦後最悪」ともいわれる状況ですが、民間レベルの交流を通して互いのことを知り、学び合うことが重要です。
私も韓国の法律の専門家たちとの出会いをきっかけに、2~3年前からハングル講座に行き始めました。むこうが日本語を覚えて話しかけてくれるのに、あいさつ程度では申し訳ないと思ったのが始まりです。互いを知れば理解も深まる。実際に韓国についても、文化をよく知っている人は、比較的に日本の嫌韓の風潮を批判的に見ています。
先日、江東区の高校生を対象に行ったあるアンケートで「韓国ともっとなかよくしてほしい」という要求が上位にあがったといいます。
一方的な情報だけが流され、市民たちが知らないがゆえに、いろんな偏見に踊らされている人たちがいるのも事実です。しかし。交流したい人もいます。そのことを忘れてはいけない。弁護士会の中にも人種差別に反対するグループがあり、市民の中で朝鮮学校を支援する団体もどんどん生まれてきている。そのような動きを過小評価せず、運動を根気よく広げていくことが、とても重要です。(まとめ・李鳳仁)
アジア太平洋戦争中の中国において、日本が侵略戦争とともに資源と労働力を大規模に掠奪し、数千万人もの被害者を生み出したことはほとんど知られていない。この戦争犯罪によって大陸の曠野に数知れない万人坑が出現したことも。
著者は二OO九年から東北、華北各省の万人坑をめぐり、これまで3冊のルポルタージュで日本の侵略の実態と現況を報告してきた。続いて一四年には海南島、一六年にも長江流域を訪れ、被害者を追悼し現地の人びとと交流した。本書はその報告であり、万人坑に関する四冊目の著作である。
本書で海南島と安徽省淮南市の万人坑が紹介されているが、両者の現況は非常に対照的であることがわかる。海南島の石禄、田独鉄山での労働やインフラ工事で何万人もの労工が死亡し原野に遺体がうち捨てられたが、現在そこはダムの湖底となりあるいは沙漠の中に放置された状態にある。
他方、淮南市の大通万人坑教育館は美しい庭園といくつもの展示館が配置された施設をもち、「第一群国家級抗戦記念施設遺跡」に指定されている。市は六O年代後半から発掘調査を始めたが、労工のサボタージュやスト、脱走という抵抗の事実が貴重な抗日戦争として評価され、愛国主義教育にとって意味を持つものとされたからであろう。見学者総数は一二OO万人を越える。
本書はまた日本軍による住民虐殺、都市爆撃、細菌戦の犠牲者(幸存者)の証言を多数収録している。しかし、数多くの万人坑の現場を踏んできた著者は、一貫して日本の企業による「残虐な迫害と無慈悲な搾取」を鋭く告発してきた。まさしく日本企業の責任は看過されてはならない。本書を推薦するとともに、日中の研究者による万人坑についての一般書も期待したい。
(大阪歴教協)
「女性の語り、女性の歴史、そしてカタルーニャの戦後に生きるということ」
ロッチの文学世界は何から何まで「カタルーニャ的なもの」の集合である
山道佳子
ムンサラット・ロッチ(1946-91)は戦後スペインを代表する女性作家、ジャーナリストのひとりである。本書で論じられるカタルーニャの女性たちを主人公とした創作の他に、カタルーニャという「くに」の歴史を知ることに心を砕き、敗者の記憶の回復に尽力し、女性の権利を擁護する著述を精力的に行ったことでも知られ、ノンフィクションの代表作としては『ナチス強制収容所のカタルーニャ人』(1977年)という800頁を越える大著がある。その意味で近年、社会主義や自由を求めて運動するカタルーニャの人たちによる再評価が進んでおり、著者が「はじめに」で紹介するカタルーニャ独立派極左グループCUPの街頭演説でロッチの詩の朗読を耳にしたというエピソードも、さもありなんと納得できる。
さて、ここで私たちが「戦後」というとき、その戦争とは「スペイン内戦」(1936-39)である。著者が言うように、内戦を理解せずにロッチの文学作品を理解することはできないし、ほとんどが内戦の敗者としてその後のフランコ独裁を生きざるを得なかったカタルーニャの人たちにとって、戦争は1975年のフランコの死まで続いたとも言え、日本人にとっての第二次世界大戦よりもずっとリアルで深い傷として人々の記憶にある。
本書で扱われる彼女の小説は、カタルーニャ語という、独裁下で公的に使用を禁止されながらも保持され続けた母国への愛によって動かされた文学表現であると同時に、大文字の歴史では語られない人々の日々の営み、なかでも彼女の母や祖母の世代の女性たちが激動の歴史をどのように生きてきたのかという「小文字の歴史」(=ウナムノの言うところの「内-歴史」)叙述の試みである。よって本書のカタルーニャの(大文字)の歴史と対照させながら、ロッチの文学世界の中の登場人物が生きた「内-歴史」を、彼女の生涯に発表した5本の長編小説から読み取ろうとする意図は、的を射ている。
祖母・母・娘と三代のムンデタたちを通して描かれる「くり返し」としての女性の人生(『さらばラモーナ』)、母ムンデタが爆撃を受けたバルセローナで夫を探しながら嗅ぐ「臭い」を通して伝えられる戦争の悲惨さ(『同』)、独裁下に祖国に残りながらも外の世界に心を閉ざし、自らを偽って生きるジュアン・ミラルペシュの「内なる亡命」(『さくらんぼの実るころ』)、実際の亡命から祖国に帰ったナタリアやアルムニアが感じる「喪失感」(『同』)、独裁という敵を失ったときに共産主義活動家たちを襲ったアイデンティティの危機(『すみれ色の時刻』)、娘ムンデタやビルジニア(『妙なる調べ』)に投影される戦後生まれの女性たちの、自由であるはずの人生における葛藤など、そのような「内-歴史」から抽出されるテーマが普遍的であることも、本書は教えてくれる。
しかし同時に、歴史も人生もともに個別的であることは言うまでもなく、ロッチの文学世界は何から何まで「カタルーニャ的なもの」の集合である。例えば、アルタフーリャ夫人の思い出の中で、恋人サウラ大佐がつぶやくジュアン・マラガイの詩「魂の歌」(『日常オペラ』)。内戦の最終局面の厳しい現実との対比で、カタルーニャ主義を代表する詩人の祖国賛歌が哀しく響く場面からは、カタルーニャ人のマラガイへの傾倒、息をするように詩を暗唱する民族性とも呼べる文化が伝わってくる。『妙なる調べ』でマラジャラーダ氏が孫の教育のために最初に雇ったのも詩人で、その教師が7歳の子供にまず教えたのも、このマラガイやバルダゲーなどのカタルーニャ語の詩の暗唱であると記されている。
ロッチの作品を分析しながら「カタルーニャとは何か」を読み解くことを目的に掲げる本書では、『すみれの色の時刻』のカティのように自由奔放な生き方を選び、内戦期に「ムヘレス・リブレス(自由な女)」で活動した女性や、『日常オペラ』の下宿人ウラシ・ドゥックの亡き妻でアンダルシア移民だったマリの存在などを通して、カタルーニャ社会の多様性や流動性も示される。ここは、ロッチの書く世界の限界と可能性を共に示す部分であるので、同時代の男性を含む他の作家や異なる世代女性作家との比較などを通して、彼女の作品世界が相対化されたならば、もっと分析が豊かになったのではないだろうか。
もうひとつ課題を挙げるならば、本書で繰り返し使われる「産業ブルジョワジー」という概念など、通常の歴史研究と異なる定義がされていて違和感を覚えたところもあり、歴史研究との接合がなされれば、より有効な考察が加えられるのではないかと感じた。
最後に、現在のカタルーニャに目を向けると、ロッチの世代が葛藤の中でも希望を見出そうとしたスペインの民主体制には歪みが目立つようになり、カタルーニャの独立、あるいは自由や尊厳を求める運動が展開されている。本書でも触れられるカタルーニャのスペインからの独立の是非を問う投票(2017年10月1日)を実施した州政府幹部や独立運動指導者たちには、2019年10月14日に、「騒乱罪」で9年から13年の実刑判決が言い渡された。
その中のひとり、カタルーニャ自治州議会だったカルマ・フルカディは、予防拘禁されていた刑務所で、彼女が使っているのと同じ紫色のインクのボールペンを、2018年のクリスマスに他の収監者たちに贈ったという。理由を尋ねられて、「人生はフェミニズムの色で書かれなければいけないから」と答えたという話を読み、私はロッチの仕事を思った。ロッチはまさに、これまで黒や青のインクで書かれてきた人生や歴史を、紫色のインクで書き直そうとした作家だった。そう考えると、女性であることも、カタルーニャ人であることも、まだ問いかけとして意味を失っていない今、ロッチの仕事を多くの読者と共有する機会を与えてくれた本書の出版を、心から嬉しく思う。
(慶應義塾大学教授・カタルーニャ近現代史)
「私のおっぱい戦争」リリ・ソン 作 相川千尋 訳/サイゾーウーマン著者インタビュー2020年2月5日
https://www.cyzowoman.com/2020/02/post_268723_1.html
「江戸時代の小食主義」若井朝彦 著/集英社web連載 高橋源一郎「読むダイエット」第1回紹介2020年1月29日
http://gakugei.shueisha.co.jp/yomimono/yomudiet/01.html
「歴史が眠る多磨霊園」小村大樹 著/『神奈川新聞』2020年2月16日『南日本新聞』2020年2月2日『大分合同新聞』『河北新報』『佐賀新聞』『信濃毎日新聞』『上毛新聞』『徳島新聞』2020年1月19日『福島民報』『北國新聞』2020年1月11日
東京郊外の多磨霊園は1923年に開園した公園墓地。交通の便が悪かった当初は不人気だったが、それを一転させたのは日露戦争の英雄・東郷平八郎がこの地に葬られたことだという。
同霊園に眠る著名人の墓探訪記。遺骨が盗まれた三島由紀夫、長谷川町子<中略>ソ連から受け取りを拒否されたゾルゲの遺骨や、二・二六事件の被害者、関係者も。
墓からたどる人物近代史になっている。
「私のおっぱい戦争」リリ・ソン 作 相川千尋 訳/『静岡新聞』2020年1月19日
副題に「29歳・フランス女子の乳がん日記」とうたうように、コミック作家の著者は29歳で突然、乳がんと診断された。それを機に開設した日常と病気についてユーモアを交えて語るブログのコミック化。乳首に異変を感じてから手術を受けるまでの心の変遷が、カラフルなイラストとともにつづられている。
<中略>
本書ではがんはドイツ語風の「ギュンター」という愛称で呼ばれ、小さくて丸い緑色のイメージで表現される。暗くなりがちなテーマだが、がんの原因やその時々の心情などを患者ならではの視点で明快に語っていて、闘病中の家族にも参考になる。
<後略>
「未来のアラブ人」リアド・サトゥフ 作 鵜野孝紀 訳/公明新聞2020年1月17日
評者:小野耕世(作家)
アラブ世界描くマンガ 水木しげる、吾妻ひでお作品のリズム感に学んで
日本では海外マンガ、とりわけ欧米や他のアジア諸国の作品の翻訳刊行が、年々さかんになっているように感じるのだが、いま、ついにアラブ世界を描いたマンガが刊行され、話題を呼んでいる。リアド・サトゥフ作「未来のアラブ人 中東の子ども時代」(花伝社刊 鵜野孝紀訳)がそれだ。
作者は一九七八年、シリア人の父とフランス人の母とのあいだにパリで生まれた(国籍としては)フランス人。文字どおり親にひきずられるようにしてアラブ諸国をめぐった体験をリズミカルに描いた自伝マンガの日本語版第一巻の刊行にあわせ、アンスティチュ・フランセ東京の招きで来日した。日本びいきの彼の来日はこれが三度目。
欧米では電線は地中に埋められているが、彼は日本の電柱のデザインが大好きだと言う。なにしろ、彼が生まれて初めて読んだマンガは、ベルギーのエルジェ作「タンタンの冒険」シリーズだが、最も影響を受けたのは、ふたりの日本のマンガ家、水木しげると(先日亡くなられた)吾妻ひでお(作品の仏語版も出ている)なのである。
例えば、水木しげるの戦争体験記「総員玉砕せよ!」では戦争についての批判など無く、判断は読者にゆだね、自分の体験をただ淡々と描いているのに感銘した。今度の自伝マンガも、その手法を生かした人間観察記だという。
そして、民族主義に反対だったという父親とシリアに住んだ頃は、完成した家に住むと税金をとられるので、家はいつも未完成のままだったという話などには、価値観の多様性のなかを生きていくほかなかった子どもの気持ちがよく描かれている。
サトゥフ氏は吾妻ひでおの「失踪日記」も淡々としているのに感動したが、そもそもフランスには路上生活者はとても多く、地下鉄にも乗っているとのことだ。
サトゥフ氏は、マンガの初めでは金髪で女性たちにかわいがられているが、本人に会うと髪は黒い。「十一歳の頃から髪が黒くなったのさ」と語る作者はマンガ家になって二十年、自伝は自分の現在までを描く予定で、第二巻も近く日本版が出る。「何巻まで描き終えるかわからないが、水木しげるも吾妻ひでおも、作品のリズム感がすばらしい。私もそのリズムをふたりに学んで、描き続けるつもりだ。」
サトゥフ氏は映画監督でもある。「ジャッキーと女たちの王国」という映画は、SF好きでもある彼らしく、女性が支配する独裁国家に男性が乗りこんでいくという94分の長編奇想映画。ユーモアたっぷりで笑わせ、デザインもざん新ですばらしい。日本で公開されれば人気を呼ぶのではないか。<多様性>を楽しむ感覚が、ここにもある。
(おの・こうせい)
「未来のアラブ人」リアド・サトゥフ 作 鵜野孝紀 訳/「ふらんす」(白水社、2020年2月号)
ヨシとクニーのかっ飛ばし仏語放談47
ヨシとクニーのCoup de coeur 2019
『未来のアラブ人』父の姿
クニー:おまた~!
ヨシ:わわわ、あの超インドア派のクニーが、大阪に自転車で来るやて⁉ しかもドロップハンドル、10段変速!
クニー:岐阜の実家の物置小屋で見つけてね、それで大阪まで漕いできたってわけ。あ、滋賀県で一泊したけどね。
ヨシ:そういうたら、クニーの実家は自転車屋さんやったな!
クニー:そそ!単に売るだけじゃなくって、実際に父親が家で自転車作ってたからね。これはそのお手製自転車
ヨシ:でもよう岐阜県から漕いできたな~。
クニー:だって、今回は恒例企画「今年のぼくらのイチオシ!」でしょ。
ヨシ:せやけど……。なんで自転車?
クニー:それは、僕のイチオシがリアド・サトゥフ『未来のアラブ人』Les Arabes du future(鵜野孝紀訳、花伝社)だから。
ヨシ:フランスでベストセラーになったバンド・デシネやな。作者のサトゥフのお父さんはシリア人でフランスへ留学。そこでフランス人女性と知り合い結婚して作者が生まれた。博士の学位を取ったお父さんはリビア、そしてシリアで職を見つけんねんけど、その現地の生活を子どもの目で活写したのがこの漫画や。で、なんで自転車?
クニー:それはね、確かにこの漫画は、1980年前後のその二国の体制や人々の暮らしぶりを伝えてくれる作品だけれども、僕が惹かれたのは子どもの目から描いたお父さんの姿なんだ。それでちょっと自分の父親を思い出してね。
ヨシ:ほんで、お父さんの自転車に乗ってきたと。たいしたやっちゃ。
クニー:サトゥフのお父さんは、宗教は「無知蒙昧」をもたらすと考えているんだけど、じゃあ宗教に批判的なのかと思うとそうとは言い切れない。ある時お母さんがサトゥフ少年にジョルジュ・ブラッサンスを「フランスじゃ神扱いよ」と話していると、「人間を神と呼んではいかん」と血相を変えて言い出したりする。
ヨシ:確かに「信心深いわけじゃないと言いつつ、スンニ派だけは信じられる」いう説明もあったな。
クニー:「黒人」や「ユダヤ人」に対するちょっと侮蔑的な認識や、「シリアにはソ連がついている」という単純な考えなど、ちょっと首肯しかねることも描かれている。それを批判することはやさしい。でも正義を振りかざして良いか悪いかを判断するだけだったら、ひとの 気持ちの深いところは決して理解できない。
ヨシ:読んどって伝わってくるんは、70年代を生きてきたお父さんの複雑な境遇であり、それを細やかに観察してる息子の父へのまなざしなんやね。
クニー:息子から見れば父親とは、偏屈に見えるものだよ。でもそれを受け止めているところが息子の父親への愛情なんだと思う。
ヨシ:偏屈な父を子が描く漫画いうたら、アート・スピーゲルマン『マウス』(晶文社)にも共通するで。この漫画はやな……。
クニー:ヨシ、フランスの話題から離れちゃうよ。
ヨシ:おっと、しゃあない! 口チャック! で今回のテーマは何やったっけ?
クニー:2019年のぼくらのイチオシ、Coup de coeurです!
ヨシ:Coup de coeurは、ここでは「おすすめ」って意味だな。続き、いってみよー!
バンド・デシネのイチオシ
クニー:おすすめしたいのは、やはりバンド・デシネの作品だけど、カトリーヌ・カストロ原作、カンタン・ズゥティオン作画『ナタンと呼んで』Appelez moi Nathan(原正人訳、花伝社)。体は女性だけれど、意識は男性。思春期にその違和感に気づいたリラが、家族や友人との衝突や、性の戸惑いを体験しながら、やがて性適合手術を受け、ナタンとして大学生活を迎えるまでを描いている。
ヨシ:家族が葛藤しながらも、最終的には主人公を受け入れるプロセスが特にエエと思うで。性は「自認」であるんやけど、その○○をまわりが認めてくれる、造語になってまうけど「他認」いうのんも、実はめっちゃ大切やと思うねん。
クニー:性はプライベートな問題であると同時に社会的な問題、つまり社会で議論すべき問題でもあるよね。
ヨシ:もう一冊バンド・デシネのおすすめを。カトリーヌ・ムリス『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』La Legereteこちらも花伝社で訳者は大西愛子さん。
クニー:カトリーヌ・ムリスはシャルリ・エブド襲撃事件が起きたときは、たまたま編集会議に出席していなくて、難を逃れた。
ヨシ:無事やったとはいえ、精神的な傷は大きくそれは癒えることがあれへんかった。このバンド・デシネは事件の前日から、事件後の自分の姿、気持ちを自分自身で見つめ直すように描いてはる。
クニー:事件からほぼ1年して、イタリアを訪れ、芸術作品=美に接することで、回復の予兆を感じるところで話は終わっている。でもそれは完全な回復なのかな、って思う、というかそもそも「完全な回復」はあるんだろうか。
ヨシ:確かに。≪Legerete≫いう単語自体、いろんな意味が込められてるんちゃうかな。軽さはもじどおり軽やかさでもあるけど、軽い分だけ、はかなさや移ろいやすさも含まれている。決して安定することがあれへんていうかな……。
クニー:その不安の概念は、Philippe Lancon, Le Lambeau(Gallimard, 2018未訳)にも「見出すことができると思う。ランソンは事件当日の会議に出席していて、銃弾で顎を打ち砕かれるも生き延びたジャーナリスト。事件前日からその後の入院、繰り返される手術の日々を500ページにわたって書いている。ジャンル分けの難しい作品で、記録、観察、内面の吐露など、さまざまな要素で構成され、自伝的であると同時に、とても詩的で小説的でもある。
ヨシ:でもこの作品は「小説やない」いう理由でコンクール賞にノミネートされへんで論議を呼んだりもした。クニーが言うように、一つジャンルに特定でけへんけど、すぐれた文学作品やと思う。実際フェミナ賞を受け取るしな。
クニー:作品中こんな問いかけがある。≪Comment passe-t-on de Survivant a vivant?≫「どのように人は生き残りから生者に移るのか?」。「生者」は事件前の自分。「生き残り」は多くの仲間を亡くした今現在の自分。では生き残りの自分は再び「生者」へと戻れるだろうか。そんな問いをランソンは自分に投げかけている。その答えは「完全に元に戻ることはない」ということだと思う。強い喪失の体験をなかったことにはできない。
ヨシ:その意味でムリスも同じやねんな。訳者の大西さんも解説で「彼女は現在でも、事件から立ち直っていないと言う」と、彼女の心境も伝えてはる。
クニー:出来事を過去にしない。その体験者の声を伝え続けるのも文学の役割だと思うよ。
翻訳の完結
ヨシ:体験者の声いうたら、2019年2月に堀越孝一先生の『パリの住人の日記』(八坂書房)第3巻の翻訳が出た。1405年から1449年までの「パリの住人」の日記で、誰かはわからへんねんけど、当時の社会、事件、日々の出来事を体験として綴った貴重な記録資料や。
クニー:残念なのは、堀越先生が18年9月に亡くなったため、1435年以降は未訳、未収となってしまったことだね。
ヨシ:とにかくこの本は内容も貴重やけど、なんと言うたかて、堀越先生の注釈文がいちいちオモロイ。
クニー:写本である以上、書写の正確さが問題になるし、中世のフランス語なので綴り方も統一されていない。それを復元して、意味を定めるのは大変だけど、堀越先生はそれを楽しんでなさっている。ときに「じつはよく分からない」と白状したりしてる。翻訳の喜びと苦心が膨大な量の注釈文から伝わってくるんだ。
ヨシ:完結いうたら吉川一義訳の『失われた時を求めて』(岩波文庫)の最終巻がついに出たで。翻訳の依頼を受けてから20年、訳出にとりかかって10数年、そして全巻刊行に10年かかったと、あとがきで言うてはる。
クニー:高遠弘美訳(光文社古典新訳文庫)は現在第6巻まで。ぼく、高遠先生のファンなので早く全巻を読みたい!
ヨシ:『失われた時を求めて』が何種類もの翻訳で読み比べできるなんて、ほんま至福の体験や…!
クニー:そしてこの放談にもそろそろ完結の時が…。
ヨシ:ええ! うそー!?
クニー:詳細は来月を待て!
(ふくしま・よしゆき/くにえだ・たかひろ)