2017年5月刊『「飽食した悪魔」の戦後』加藤哲郎著


『週刊読書人』2017年8月4日 評者:小俣和一郎(精神科医・精神医学史家)

異色の731部隊戦後史
元隊員・二木秀雄の類稀な軌跡を中心に                                              

 

 1932年に「満州国」が作られて以降、1945年の敗戦に至るまで、中国東北部(旧満州)に関東軍防疫給水部(のち第731部隊と改称)があって、少なくとも三千人以上の中国人らを人体実験で殺害していたということは、今日ではもはや史実と言ってよい。しかし、この歴史研究が日本ではじまったのは実に遅く、1981年に刊行されベストセラーになった作家・森村誠一の『悪魔の飽食』がきっかけとなっている。本書のタイトルにある「飽食した悪魔」という語句も、そこから採られている。
 731部隊の戦後史研究も今日では拙著(『検証 人体実験』第三文明2002)を含め多数にのぼり、いまや珍しいとすら言えない。しかしながら、本書は、かつての部隊員で実際に人体実験を行っていた医師の二木秀雄という特定の個人およびそれを取り巻く関係者の戦後の足跡を追った、いわば異色の731部隊戦後史となっている。二木は金沢医科大学(現・金沢大学医学部)を卒業して細菌学教室へ入り、主任教授の推薦により731部隊へ陸軍技師として派遣されたが、そこで悪名高い結核ならびに梅毒の感染実験を指揮実行していた(二木班)。
 もちろん、特定の個人だけの戦後史であるのなら、それはごく特殊な一個人史ということになり、とても普遍化することなどできない。しかしながら本書は、二木が戦後の日本で元731部隊員の同窓会(隊友会)ともいえる「精魂会」を組織し、かつて人体実験に携わった部隊員同士の相互連絡の要の役割を果たしていたことから、二木に限らない元隊員の戦後の消息を交え、さらにアメリカ占領軍との731部隊員免責交渉過程、つとに731部隊員の関わりが指摘されてきた東京・椎名町の帝銀事件(1948年)などにも触れて、広く関係者の動向を記述している。
 また本書が多くのページを割いて述べているのは、副題にもある『政界ジープ』という二木が創刊した通俗的時局雑誌の内容と、この雑誌を介しての二木による企業恐喝事件についてである。二木は戦後、故郷の金沢へ戻り、その後上京して銀座で雑誌出版社をつくる。そこから刊行されるのが『政界ジープ』で、当時の共産党系雑誌『真相』と対照的な位置にあった。前者が右派的内容をもって731部隊の存在そのものを隠蔽しようとしたのに対して、後者は逆に二木らの人体実験を暴露した(1950年4月号)。しかし、二木の雑誌を軸に企業恐喝事件が起こり、二木は有罪判決を受けて懲役三年の実刑に処せられる(「政界ジープ事件」)。彼はその後、何とイスラム教徒となり、「日本イスラム教団」を創設し自ら総裁となる。結局、彼はイスラム教徒のまま1992年に84歳で死亡する。
 もちろん、二木の戦後の活動は出版社経営や恐喝事件の被告にとどまらず、やはり元731部隊の要だった内藤良一と組んだ日本ブラッドバンクという血液製剤製造会社(のちに薬害エイズ事件を引き起こす製薬企業ミドリ十字の前身)の設立、自ら院長となっての診療所開設など、本来の専門である医薬業界での活動もあった。
 それにしても本書を読んで改めて驚くのは史上稀にみる規模で人体実験を実行した731部隊が、戦後も一度として正式の解散命令を受けておらず、戦後一定の期間、元隊員には「俸給」すら配られていたという事実である。この金が一体どこから出ていたのかという問題は非常に興味深いのだが、それは本書によっても究明されていない。本書では731部隊の隠匿資金だった可能性などが言及され、その一部は二木の出版社設立資金にも転用されたのではないかとの推測が書かれているのみである。今後の歴史研究がまたれる。
 いずれにしても、本書が正面から取り上げた二木という元731部隊員の医師は、他の元隊員医師らが、戦後は開業医や勤務医、それに医学部大学教員などへ転身していったのに比べ、出版業から政界企業ゴロへ、最後はイスラム教徒へと転身するという、類稀な異色の軌跡を歩んだ人物ともいえるだろう。本書が異色の731部隊戦後史となっているのも、このような人物を中心にして構成して描いたことによるのかもしれない。