2015年3月刊『成熟社会における組織と人間』碓井敏正 著

『週刊読書人』2015年5月15日号  鈴木正(名古屋経済大学名誉教授・思想史家)評

 

 著書は本書以前に成熟社会に関する二著を出し、現代社会の革新を再生させる試みをつみあげている。本書は10章で構成され、発想は柔軟で経営組織論から自己革新型組織への構築について学びとっている。さらに政治市場(政党・政策・選挙民)と経済市場(企業・商品・消費)が似たような関係にあることに注意をうながし、それとパラレルに捉えているあたりは興味ぶかい論点である。
 組織論達成の先駆として、ウェーバー、ミハルス、バーナードをとりあげる反面、組織変革をはばむ心理に目を向け、組織が硬直する官僚制の典型が軍事組織だとの判断から、その実例として「日本陸軍における官僚制の弊害」を問題視する。そして取引コストの概念を用いて説明している菊澤研宗の著書『組織は合理的に失敗する』に注目し「指揮される現地軍は大本営の命令が不条理であることがわかっていても、命令に従うことになる。つまり高い取引コストが作戦の変更をはばみ、いたずらな敗北の要因になる」とのべている。十分に関心を引く考察ではないか。
 第3章「護憲運動と革新組織の再生」も今後の政治的争点に迫る課題として最大の関心事であろう。国家権力の行使を制限する立憲主義と個人の生き方への介入を拒否するリベラルな個人主義の矛盾的関係に先立つ理念として憲法で強調されている権利の普遍性と永久不可侵性の意味が力説されている。
 その護憲運動で求められる政党のあり方は現実政治の場である「政界」では、それが事の成否に関して重要なポイントであろう。
 「政党は野党であっても、権力をめざす存在であるかぎり、立憲主義にとって潜在的に危険な存在だからである。社会主義的な政党あるいは宗教政党は、そのイデオロギー的性格により、特にその懸念が強いと言わねばならない。しかし最終的に判断を下すのが国民であるとはいえ、改憲の発議は国会レベルでの闘いにかかっており、このレベルでは、政党が中心とならざるを得ない。したがって、政党と護憲勢力の協力、さらに政党間の連繋が重要であることも事実である。……そのために問われるのが、政党の体質である。政党が市民社会に受け入れられ、支持される存在へと脱皮するには、リベラルな文化の体質化が必要になる。」と示唆している。さらに重要な問題が提起されている。共産党のような社会主義的勢力のリベラル化だ。日共の政策は社民化したが、組織体質はあいかわらず中央集権的で上下関係はきびしい。革新政党の基盤を強化するためには組織の自己改革、つまり政党が構成員の権利意識や参加意識をたかめ、さらに議論の文化レベルの向上に努める組織へ脱皮していかねばならない。
 第9章「関係的存在としての人間と自己決定」で、重症心身障害者の子をもつ母が語る「たしかに障害を知ったときには途方にくれました。でも千璃(当時9歳)の障害も個性と思って普通に育てていこうと思います」との言葉に出会うと人間讃歌の情熱が伝わってくるではないか。
 最後にデカルト以来の近代的人間の主体性に対して疑問を呈した「環境問題の深刻化が、自然支配の思想の見直しと、自然と人間との新たな関係の構築を求めているとすれば、われわれは支配─被支配の関係でない、人間と自然との新たな調和的、循環的関係を追求しなければならないであろう。その点でわれわれはデカルト的自然観を超えることを求められている」という主張に、私は救われる気持になるのである。
「あとがき」で著者がのべている安倍政権の右傾化戦略が目に余る政治社会から市民社会に目を移すと人権意識や民主主義感覚の成熟度は増している。この乖離は革新政党の可能性を示唆している。これまで聖域とされていた組織を対自化させねばならない。私は唯物論の徹底がすべてを対象化する力量に期待している。